星になる
大学のクラスメイトが亡くなった。
朝まで職場の同期と飲んで、家に帰って暖房をガンガン効かせた部屋でうとうとしていると、友人から連絡が入った。「昨日の夜、○○くんが亡くなったそうです」スマホに映し出されたその文字は何度読み返しても信じられず、彼は今どこに住んでいたっけ、とただぼんやり考えた。
友人が送ってくれた地元のオンライン新聞のスクリーンショットには、26歳の薬剤師の男性がトラックにはねられて死亡したと書いてあった。26歳薬剤師、その言葉の重みでやっと現実なんだなと思った。
彼とは別段仲良かったわけではない。でも名簿が近くて、クラスも同じで、わたしのことをちかちゃんと呼ぶ数少ないクラスメイトだった。
身近な人が亡くなった記憶がない。父方の祖父母は、わたしが物心もつかないうちに亡くなっていた。わたしが大切な人の死を恐れるきっかけになったのは、高校生の頃大好きだったバンドのボーカルが亡くなったことだった。新聞の報道では薬のオーバードーズとアルコール摂取が原因の自殺と書かれていて、そんなわけないと強く思ったけど、真相なんてわかるはずもなかった。
ちょうどその頃、「流れ星が消えないうちに」という本を読んだ。加地君という男の子が亡くなって、その彼女と友人が、彼の存在を忘れないまま少しずつ前を向いていくような話だった。
誰かの死は、本当にすぐそこにあることだ。誰かの死を目の当たりにするたび、当たり前の日常が今日も明日も明後日もずっと続くわけがないことを思い知る。なのにいつまでも続くように錯覚している。
誰かに優しくするのも優しくされるのも、そんなの生きているからだ。わたしたちの考えるすべてのことは、生きている前提だ。
亡くなった彼と最後に会ったのは、彼らの卒業式の日のパーティーのときだ。わたしは卒業が遅かったので卒業はしなかったけど、パーティーには参加させてもらった。どんな会話をしたかなんて覚えてない。またね、と言って別れたかどうかも定かではない。
すごく仲良かったわけじゃないから、またねと言っても本当はもう会わないかもしれないとどこかで思っていたけど、その「会わない」がこういう形になるとは思っていなかった。だって会おうと思っても、もう絶対に会えないのだ。
今日と同じ明日がくることが当たり前じゃないって、本当にそうなんだ。やりたいことはやるべきで、伝えたいことは伝えるべきで、大切にすべき人を大切にしなきゃいけない。