Chikanism

現実と非現実のあいだ

男女の友情の、超えられない壁

私には仲良しの男性の友達が2人いる。いつも3人で会う。

新卒で入った会社の同期で、私が入社後1年3ヶ月ほどで退職したあとによく遊ぶようになった。

 

最初は友人宅でお酒を飲みながらアイドル番組を見ていた。誰かの家で集まってアニメを見たり、ご飯を食べに行ったり、アクティビティにも色々取り組んだ。

今では月に1回は会って出かける。年に1〜2回は旅行にも行く。

私の地元に遊びに来て、両親に会ったこともある。

 

今はもうみんな違う職場にいるが、グループLINEでも頻繁にやりとりをする。社会人になってからできた、かけがえのない友人だ。

 

私は男女の友情は成立すると思っている。性別より前に、友情があるのだ。

でも、一緒に過ごしている中で、どうしても性別を意識せざるを得ない瞬間がある。それは例えば更衣室だし、旅館での着替えや大浴場だし、遊びの途中で寄る銭湯だ。

旅行にでかけて一緒の部屋に泊まるのも、家を行き来するのも違和感はないけど、さすがに同じ場所で着替えはできないし銭湯でも別々になる。

 

私以外の二人はサウナ好きで、よく私抜きでもサウナに行ったりしているが、私はそこに混ざることができない。

性別なんて関係なく仲良く、一緒にいたいのに、私達の間にはいわゆる性別という超えられない隔たりがあるのだ。

 

別に一緒に共有できないものがあってもいい。一緒に風呂に入りたいとかそういうわけじゃない。

でも、過ごす時間が性別によって断絶されることで、友情と性別は両立できないような、途方も無い気持ちになってしまうのだ。

 

 

世の中には、男女の友情は成り立たないと主張する人もいる。恋人がいたら異性とは遊ばないという人もいる。恋人に異性と遊ばないでほしいと思う人もいる。

 

私は異性愛者なので、私にとって恋人は、大切な友人であり、わかりあえるパートナーであり、男女として向き合いたい相手でもある。

でも、友情には性別は関係ないのに。なのに、節々で、超えられないような気持ちになってしまう。私にはそれが、切なく、悲しいのだ。