Chikanism

現実と非現実のあいだ

自己開示とか人を頼るとかの話

誰かと親しくなる上で、自己開示をすることってとても大事だと思うんですね。

これは妹と散々話して何回も「そうだよね…」となった結論。

妹もなかなか本音は言ってきませんが、本音を話せないのはわたしも同じ。でも姉妹なので気を遣わずに思ったことは結構なんでも話しています。「お前のことは口が裂けても細いとは言えないけど、めっちゃデブってこともないと思う」とか、「取り返しがつかないほどのブスではないと思う」とか、「その服は太って見える」とか、そういうことも言う。姉という贔屓目で見たら妹はめちゃめちゃカワイイんですけどね。そんなだから、買い物に行っても「それはやめたほうがいい」「似合ってない」という感じ。

でも、それでも、本当に思ってることとか悩みって、なかなか言えないんですね。

自分が逆の立場なら、相談されたら頼られてるって思うし、弱音や泣き言や愚痴も度を過ぎなければ聞いてあげたいと思います。

いつもは恋愛の相談なんてしてこない友人が、彼と喧嘩した話をして涙ぐんだときはかわいいなと思ったし、具体的にできることはなくても、「話を聞くだけでも聞くからね」などど言ったものです。

 

だいたい他人の悩みは、客観的に見れるから、コメントもしやすい。たとえばダメ男に引っかかってる本人は、相手がダメ男でやめたほうがいいってことがわからなかったりする。こっちから見たらどう考えてもやめたほうがいいのに。

まぁ相手のことを思うとハッキリ言えないことも多いけれども。

 

わたしは他人に頼るのも苦手で、気持ちを表現するのもすごく苦手です。思ったことはちゃんと伝えたいって考えてはいるけれど、言語化するのがすごく難しくて。考えが頭の中でぐるぐるして、整理がつかなくなって、何から話そうか、と思っているうちに時間だけが過ぎてしまう。あとになって「こう言えばよかった」「なんでこれを言えなかったんだろう」なんて思うこともよくある。

でも例えば誰かに言われた一言に傷ついて悲しんだことをポロッと口にしたときに、「それはひどいね」というようにわたしの悲しい気持ちに同意や肯定をしてもらえると、わたしは「あぁわたしは傷ついてもいいんだ」「悲しいと思うのは間違ってないんだ」と思える。

なのに傷ついたことを悟られまいと平静を装ったり、わざとへらへらと振る舞うこともある。バイトの最後のシフトが被った男の子も、「ちかさんらしいクールな最後でしたね」と別の人に言っていたらしく、わたしはクールになりたいわけじゃないのになあと思ったものだ。

寂しいとか悲しいとか、嬉しいとか楽しいとか、感情も満足に表現できない。家族には「なにをしても喜んでるように見えない」と言われ、妹には「プラスの感情が本当に薄い」と言われる。

 

プラスの感情にしろマイナスの感情にしろ、悩みや考えにしろ、自己を開示することはすごく大事だし、言わないのにわかってほしいなんて言うのはおかしいというのはよくわかってる。

だから本当に感情表現が豊かな人に憧れるし、わたしだって嬉しそうに笑いたいし、悲しいときは人目を憚らずに泣いたり、嬉し泣きだってしてみたい。

ラボの同期で、失恋したときにいちいち同期グループに連絡してくる男の子がいて、よくみんなで慰めたものだけれど、そうやって辛いときに素直に他人に頼れることはある意味強いなぁと思う。人を励ますのは簡単なことじゃないし、「世の中に異性が何人いると思ってんの?35億」なんて言うわけにもいかないし、でも黙って話を聞いて一緒に美味しいものを食べて、しょーもない話をすることはできる。

友人が落ち込んでたらわたしは一緒にゴハンを食べてどうでもいい話をしたいなあと思うし、逆にすごく辛いことがあっても何も話してくれなかったらそれはそれで悲しいかもしれない。

だからわたしも、一人で頑張れないくらい辛いときは、素直に誰かに頼れるようになりたいな。って思った。