Chikanism

現実と非現実のあいだ

人生のつらい日々は、推しと乗り越えてきた

少し前に書いた記事がおすすめに載っていたようで、たくさん星をもらってて驚きました。

しばらく更新してなかったこのブログを最近ちょこちょこ更新してるのは、やっぱり何か書かないと思考が深まらないからです。たまには色々書いて考えようと。

 

 

 

私の20代前半までは、長らく推しがいる人生でした。

中学生の頃はアニメにハマり、高校生の頃はビジュアル系バンドにハマり、大学生の頃はK-POPにハマっていた。

 

先日久々に、大好きだったBIGBANGの曲をYouTubeで流すと、蘇ってきたのは実習に行っている頃の記憶だった。

当時薬学部5年生だった私は、薬局・病院に2.5ヶ月ずつ実習に行くことになっていた。薬剤師になりたくない私にとってはこれは苦痛でしかなく、毎日重い足取りで実習先に向かっていた。

薬局・病院ではそれぞれつらいポイントは異なっていて、薬局ではとにかく仕事が単調なこと(実際の薬剤師はそうでもないかもしれないが、実習生ができる範囲のことは少ないのだ)。そして隣の消化器内科の門前薬局だったため、お昼の12時を過ぎて午後診が始まるまではとてつもなく暇で、耐え難く眠かった。

このときは立っていても寝そうなくらいで、自分の健康状態を心配するほどだった。

病院でつらかったことは、毎日の日報と、同じ時期に実習に来ている同期たちが定刻を過ぎても帰宅せず居残りで勉強をしていているなか一人だけ颯爽と帰ることだった。

日報は学んだことを書くのだが、まさにブログのような感じで図解などもできず、ただただ文字を連ねるだけで、とても役に立っているとは思えなかった。しかし簡素に済ませると大学の教授から真剣に取り組みなさいとお達しが来るのだった。

そして勉強熱心な動機を横目に、18時半からの塾のバイトにひとり向かう私。いたたまれない気持ちを押し殺して、働いて貯めたお金でミラーレスカメラを買った。

 

そこまでつらい原因は、根本的に興味がないことである。そのうえ、服装や身だしなみなどの規律が厳しいので、苦痛でしかなかった。

私は毎朝BIGBANGのミュージックビデオを流しながら身支度し、曲を聞きながら実習先へ向かった。休みの日はライブにも赴いた。

BIGBANGを聴くと、あのときのことを思い出す。私を支えてくれたのは間違いなく彼らであった。

 

また、中学時代に私はいじめられたことがあり、限られた数人しか友達がいなかった。学校も嫌いで、辞めたかった。中高大まで一貫だったが、進学のたびに外部へ出ることを試みたが、ことごとく親に阻まれた。

公立の高校に行きたいと言っては「治安がよくないからダメ」と言われ、大学に行かずに専門学校に行きたいと言ったら「大学だけはどうしても出て欲しいから、専門学校に行きたいなら卒業してから行きなさい」と説得された。

いじめの真っ只中の中学2年生のときは、学校に向かう電車の中で吐き気を感じることが多かった。そんなときはBLEACH銀魂のコミックスを持参し、読んで気分を紛らわせていた。あれがなければ登校できなかっただろう。

(いじめと言っても仲間はずれにされたり、私に対してだけ言葉遣いがきついとかその程度)

 

高校に入ってからは特別いじめられもしなかったが、理系クラスになったので仲良しの友達がクラスにひとりもおらず、常にぽつんと過ごしていた。

そんな私の癒やしはMUCCだった。当時の生きがいでさえ会った。お小遣いやお年玉を貯めて、音源やライブに費やした。MUCCが「生きる価値もないような世界を愛してる」と謳うから、私も世界を愛そうかと思えた。

 

 

こうして振り返ると、つらいときはいつも推しがいてくれた。推しは素晴らしい存在だ。

つらい日々を乗り越えるための原動力になる。

 

大学1〜3年生のときや、社会人になってからは忙しく、それなりに楽しく日々を送れてきたため、どっぷりとなにかにハマることはなかった。

それに、ハマることが怖くなってしまった。

 

周りのファンを見て、推しに対する愛の深さを比べてしまうのだ。私はそこまで真剣になれない、それって本当に愛なのか?と。

また、推しの一言や言動はもちろん、スキャンダルや脱退など様々な外部要因に気持ちが振り回されることにも疲れてしまった。推しが亡くなったこともあるし、解散もしたし、脱退もあった。

コントロールできない事象に心が浮き沈みすることがつらくなってしまったのだった。

 

とはいえ、今までのつらい日々はずっと推しとともに生きてきた。かけがえのない存在だった。

今は推しがいなくても生きていけるくらい穏やかな日々だけど、推しと過ごした日々も愛おしく、懐かしく思う。