Chikanism

現実と非現実のあいだ

一人暮らしは最高だった

初めて親元を離れたのは大学6年のとき。

祖父が入院し、祖母が一人暮らしになったのでサポートするために祖母宅に住みはじめた。

とは言っても実家からは車で5分ほどの場所だった。それでも格段に交通の番は良くなった。マンションから歩いて数分でバス停があるのだった。

 

私は祖母と暮らしていたけど、研究やバイトで遅く帰ると祖母は先に寝ていることが多かったので、半分一人暮らしだった。

帰ってきたらメールしてね、は祖母の口癖だった。

 

その後私は半年間カナダに住んだ。

そこでは最初はホームステイをして、その後ルームシェアにうつった。

ホームステイではみんな成人しているので基本は自由だが、ご飯は作ってくれる。門限はないがシャワーを浴びる時間に制限があった。

 

その次のルームシェアでは完全に自由だった。何時に帰ってもいいし、シャワーも自由。

ご飯の準備はないし、一緒に過ごす時間もない。ここで私は、初めて本当の自由みたいなものを手に入れたのだった。

いつ誰とどこに行くのか、何時に帰るのか、夕飯はいるのか。それを報告する必要もないし相手もいない。

 

大学6年まで実家にいた私は、それまではずっとその窮屈さを感じていた。

駅から家が遠かったため送り迎えが必須だったので、必然的に毎日帰る時間に連絡しなければならなかった。送り迎えをしてもらっているという後ろめたさのようなものもあった。恩を着せられているような。

出かけると言えばどこに行くか誰と会うのか聞かれる。グループ旅行では本当に部屋は女子だけなのかの写メを送らされ、彼氏と旅行に行こうとすれば大学を辞めさせられそうになった。

 

そんな生活だった私には、完全に1人で自由なカナダ生活は、とてつもない解放感に溢れていた。

誰も私を待ってない。帰る時間を報告する相手もいない。とはいえ遊ぶ相手もあまりいなかった。

それは自由で、気ままで、寂しくもあった。

 

 

そして東京にきて早5年。

いまだに関西弁をゴリゴリ話す私も、一人暮らしに完全に慣れてしまった。開放感も特にない。

でもこれが当たり前。

自分で朝起きて、毎日食べたいものを作って、好きなことに時間を費やす。食べなくたっていいし、寝ててもいいし、ぼーっとしてても誰にも何も言われない。

 

そんな日々って、最高やん。やっぱり。

また誰かと住む日がくるかもしれないけど、とりあえず気ままな一人暮らしは最高。