Chikanism

現実と非現実のあいだ

ディスクがほとんどいっぱいです

随分前からパソコンを開くたびに右上に表示される「ディスクがほとんどいっぱいです」の文字。何度も見すぎて、整理しなくてはという感情も失せてきた。

これが慣れってやつか。

 

実家に住んでた頃、家の廊下を歩くお母さんの足音に怯えてた日々を思い出した。夜遅くまで本を読んでいて、よく怒られたものだ。小さい頃から寝付けないタイプの子どもで、幼児期はお父さんによくドライブに連れて行ってもらっていた。ようやく寝たと思っても、家に帰ってきてベッドに寝かせたら起きてしまう手間のかかる子どもだったらしい。(その代わり、食べ物を与えておけば動き回ったり騒いだりせずに大人しくしていて、買い物のときやお出かけのときに困ったことはないらしい。生まれながらにしてデブの素質がある。)

小学校の図書館で本を借りてきては、寝る間も惜しんで(正確にはまったく寝たくなかったので、惜しんではいない)本を読んでいた。学年で貸出数1位になるくらいだった。大人になって「子どもの頃は本ばかり読んでいた」と言うと驚かれるので、ちっとも文学少女に見えないことが悔しい。

とにかく部屋の電気を消して、ベッドに潜って、サイドの灯りをつけて、母にバレないようにこっそり本を読む。自室が2階だったので、母が階段をのぼってくる足音がしたら慌てて電気を消して、寝たふりをしていた。たぶんバレてたけど。

 

今は実家じゃなくて祖母のマンションに住んでいるので、半分一人暮らしみたいなもの。何時まで起きてても誰も何も言わない。最近たまに隣の部屋の足音が聞こえてきて、そのときに思い出すのだ。あのとき怯えてた、お母さんの足音。

実家のわたしの部屋は(実家までは車で3分ほどの距離にも関わらず)妹に占拠されてしまってもう寝る場所がないので、たぶん帰ることはないんだろうなぁ。あの足音を聞くこともない。

毎日のことだからイヤになってたけど、なくなってみたら寂しくなるのかなあなんて、少し思ったけれど、あれに関してはそうでもないようだ。

 

同じように、macの「ディスクがほとんどいっぱいです」も消えたら寂しくなるかなあと思ったが、そんなことはなさそうである。ないほうがいい。

 

まぁでも、今の家に引っ越してすぐは、実家に帰りたいと思ったこともあったような気がする。今ではまったくないけれど。

失ってから気づいても遅いよって、経験するまで気が付かないなんて、馬鹿だねえ。目の前にあるときは当たり前すぎて気づけないなんて、言い訳だよ。