Chikanism

現実と非現実のあいだ

オレンジの街頭は寂しくなる

バンクーバーの街頭はオレンジ色だった。

 

冬は暗くなるのが早かったので、16時ころにインターンが終わって帰っても道は暗かった。でも時間が早いというのだけが救い。たまに夜遅く帰るときは心細かった。一人で異国の夜道を歩くのはなんとなく寂しかったのだ。

たとえばみんなで飲んだ帰り道。わたしはダウンタウンに住んでいたから歩いて帰れたので、バスに乗る友人をバス停まで送った。ルー大柴みたいに話しながら爆笑して、バスが来るまで待って、バスに乗り込んだ彼女に手を降ってから家まで歩く。

見慣れた町並みだけど、それでも夜はやっぱり寂しい。なにもないってわかってるけど、Wi-Fiがないとネットも繋げないので、誰かに連絡したりツイッターを見たりして誰かとの繋がりを確かめることもできなかった。

前に来たケーキ屋さんの前を通る。友人とふたりでチーズケーキを食べようと向かったのだけど、閉店間際だったので持ち帰り用の箱に詰められて、二人で慌てて食べた。そのケーキ屋さんも既に閉店していて、真っ暗だ。

 

オレンジの街頭は、高速道路を思い出す。高速道路の街頭はなぜかオレンジ色が多い(偏見かな)。小さいころ、家族でよく遠出をした。その帰り道、車で高速道路を通ると、一面がオレンジで、なんとなく寂しくなったのだ。家に帰りたくなかった。

楽しい時間が終わってしまうのが嫌だったし、家についたら現実に戻ってしまう。家の白い白熱灯が頭にちらつく。狭いリビングの味気な白熱灯は、そのときのわたしにとっての戻りたくない現実だった。

 

バンクーバーのオレンジの街頭に照らされた道を歩きながら、あの高速道路を思い出していた。それだけで寂しくなる。戻りたくない現実に戻らないといけない時間が迫っているようで。

実際は現実が嫌なわけでも、明日が来てほしくないわけでもないのに、心細くなった。早くマンションに帰って、温かいコーヒーを飲もう。好きな人に連絡しよう。毎日のように通るウォーターフロント駅の前を、足早に通り過ぎた。

 

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日本では街頭はオレンジじゃないというか、店の明かりが多くて街頭を意識する暇がない。近くに人がいて、ネットがあって、心細さが埋もれる。

 

でも家の近くのスーパーまでの道にオレンジの街頭があって、ふと思い出す。オレンジの街頭がいやだなという気持ちよりも、あのときバンクーバーで抱えていた心細さを。