Chikanism

現実と非現実のあいだ

今日考えたこととか

キャリアアドバイザーさんに相談したら、自分が考えてたことをいい感じにまとめてくれて、すごいなぁと思った。

「ちかさんはちゃんと色々考えてるのに言葉へのアウトプットがスムーズじゃないタイプですね」と言われた。これはきっと今までによく言われてきた説明が下手、話すのが下手っていうのに関連してる。「でも言葉ばかりうまくて中身がゼロの人より断然いいですよ。僕はどっちかというとそういうタイプなんで」と笑ってくれた。

 

最近になってようやくやりたいこととか自分の考えとかが少しずつまとまってきて、面接とかにも慣れてきてちゃんと準備できるようになった。

昔はもっと行き当たりばったりでふらふらっと色んな所を受けてた。

でも自分なりに考えてることがあって、それを(一応)ちゃんと伝えるのだけど、そしたらそれを評価してくれる人と評価してくれない人が二極化する。どっちもいるのは当たり前だけど。そうなったときに、評価してくれない側の人についてわたしが「合わない」と判断するのは至極当たり前だと思うのだけれど、以前「合わないとかふてこいこと言う学生も、僕は好きですけどね」と言われたことがある。ふてこいんだろうか。(ふてこい、って関西弁かな?)

例えば団体に所属しようと思った理由を話したときに、「きっかけがわかりやすい、自ら苦手を解消しようとするところが評価できる、行動力・実行力がある」というように評価してくれる人もいれば、「自主性がない。それだけの理由?」みたいに言う人もいる。

だったら評価してくれる人のほうがいいじゃん。当たり前でしょ。

 

研究室を選んだきっかけを話したら、「自分でちゃんと選択してるのはわかるんだけど、他に新しいもの、おもしろいもの、興味をひくものが現れたらそっちに行っちゃいそう。悪く言えば、辞めちゃいそうって思われるかもしれないね」と言われた。

確かに、最近の大きな選択とかはそういう自分の好奇心のままに選んできたものが多くて、わたしは自分の興味とか関心に素直だけど気ままなところもあるなって思った。自分では気づけないことがいっぱいある。

 

一人で自分に向かい合ってても気づくことはあるけれど、こうして誰かに話して聞いてもらうと自分ではわからなかったことに気づけることが多い。特にわたしは言われたように言葉へのアウトプットができるほうではないので、まとまってなかったり支離滅裂だったりすることも誰かに聞いてもらうことで自分の中で整理できるのかもしれない。

さいきんは悩んだらよく妹に相談する。妹は心理学専攻の大学院生なので、たまにおもしろい考え方の話をしてくれたり、客観的にコメントをくれるのがありがたい。

 

 

たまに「内定ありますか?ないってことは今までの就活うまくいってないってことだと思いますけど、何が悪かったと思いますか?」って言われるという話をしたら、アドバイザーさんが「それは傷つくしデリカシーないし、その聞き方をする相手が悪いね」と言ってくれたので、何気に傷ついてきたわたしはちょっと救われた気持ちになった。

ほんとにほんとに色んな人に出会うけれど、やっぱり嫌なこと言うひととは一緒に働きたいなんて微塵も思えないし、たくさんの人がいたらちゃんとわたしの味方をしてくれる人もいるなって思う。自分の主張とか、正義とか、「あなたのため」とかって言って他人を傷つけるのはすごく簡単だと思うけど、だからこそ相手のためにできることってなんなのかをちゃんと見極めたいなって思う。

 

まぁそんな感じ。

以上、今日いろいろ考えたことでした。

 

あと、不安なときは自分で勝手に理由をつくってネガティブになりがちなので、そういうのやめたほうがいいと思う!!!