Chikanism

現実と非現実のあいだ

12月のどうでもいい話1

あれ?わたし悲しいと思う資格あるのかな、とハッキリと思ったのは、ほとんど1年前、バンクーバーにいたころ。学校のプログラムでインターン先を探してて、何回も面接に行って、何度も落ちた(2回だけ)。

 

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インタビューはコーディネーターが組んでくれるんだけど、終わったらちゃんと報告しなきゃいけない。そのときに色々言われたのが、悔しかったり悲しかったりでそれはそれは一人でボロボロ泣いてたんですけど、そのときにハッと思ったのが、「わたし、これで泣く資格ないのかも」ってことでした。

そもそも「インタビューをパスするスキルがない」っていう意見はもっともすぎるように思えたし、それは改善点として受け止めるべきであって、酷いなどと思うのは的外れなのではないか。しかも、もしかしたらもっと違うニュアンスで言っていたのかもしれない。英語だし、文化も違うし、なんかわたしの受け取り方は違うのかもしれない。

そう思ったら、悲しいのに、悲しむなんておかしい気がした。

 

 

以前付き合ってた恋人が、「研究が忙しいから、自分のことで手一杯でそれどころじゃない」と言って連絡をくれなくなったときがあった。自分の研究室で日夜籠もって研究している先輩たちを見てきたし、それなら仕方ないな、研究は頑張って欲しいし邪魔もしたくないなと思って、「わかった、がんばってね」と言って2週間、ちょろっとやりとりはあったものの1ヶ月くらい経って、そのまま別れた。

彼は電話越しに、「俺が全然連絡返さなかったのに、怒らないの?」と言ったのだった。びっくりして、「もちろん連絡は欲しかったけど、頑張ってほしかったし邪魔もしたくなかったから、落ち着いたらでいいかなと思って」と言ったら「そっか」と言っていたけど、最後に「怒ったほうが良かったの?」と訊ねたら「怒ってって言うのも変だけど、うん、そのほうが良かったかな」と言った。

怒るべきところで怒れない、これもまた間違った感情だったんだ、とそのとき思った。

 

(これは後日、ラボ友の男子2人に話したら、「世間では仕事が忙しいって言ってもなんで連絡くれないの?一言返す時間もないってどういうこと?って言う女の子のほうが多いと思うけど、たぶん、言わないほうがいいよ」と言われた。)

 

それで最近も嫌なことを言われたときに、「嫌だな」と思ったものの、もしかしたら相手はそういう意図はないかもしれないし、わたしが不愉快に思うのは間違ってるのかもしれない、と思った。だったらたぶん嫌だっていうふうには振る舞わないほうがよくて、何事もなかったように過ごしたらいいんだろうな、って。

だけど「わたしの感情は正しくないんだ」と思ったところでそれは消えないわけで、ずっと嫌な気持ちのままなんですよね。相手の真意もわからないし。

 

 

相手がなにをしたら喜ぶかを考えるのって簡単じゃないですか。極論、喜ばせようと思ってしてくれたことはなんでも嬉しい。でも悲しませたくない、傷つけたくない、っていうほうがよっぽど難しいんじゃないかな、と最近考えています。だってふとしたことで簡単に傷ついたり、悲しくなったりしてしまうから。そんな資格なくても。

感情に任せて言いたいこというのも、反対に何も言わずに全部を閉ざしてしまうのも、簡単。大事にしたい相手には、何を言わないのかもすごく大事だし、何をしないのかもすごく大事。

 

なにが言いたいかというと、少なくともわたしは、誰かに「あ、わたしの感情まちがってる」と思わせるような言動はしたくないし、傷つけたくないし、できれば自分も傷つかずに、朗らかに生きたいなー。それだけ。