Chikanism

現実と非現実のあいだ

平成最後と令和最初

「新しい元号発表されたね」「今日も記念日だよね」「今日が平成最後のエイプリフールだよ」

平成31年4月1日の仕事終わり、会社のビルの近くにあるラーメン屋さんで同期と話した。「今ならまだ平成のうちに結婚するってのも間に合うかもよ」などと笑って言った。

 

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あれから約一カ月、ちょうど2日前に元号は平成から令和に変わった。わたしは自室にいて、なんなら微熱で寝込んでいた。

日付が変わったって、なにもかわらない。平成のときと同じ速さで時計の針は進む。わたしの中身も外見も、急に大人になったりはしなかった。

 

 

令和になってすぐ、ゴールデンウィークの半ばに実家に帰ってきた。正確には、大学時代の後半を過ごした祖父母の家だ。

手を洗おうと思って洗面所に行くと、平成29年のわたしが大量に貼った、薬剤師国家試験の対策用のメモがまだ壁に貼られていた。

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お風呂あがりに髪を乾かしながらとか、トイレとか、化粧水を塗りながらとか、ついでにスクワットをしながら眺めていた。たまには呟いたり。

ここで毎日を過ごしていたのももう2年も前で、東京からここまでの道のりだけでも変わったところはたくさんあって、知らない店も建物も色々あった。あの頃と同じではないことを思い知らされた。元号が変わったって何も変わらないはずだったのに。

 

 

明日は久々の友人と会う。行き先について決めていたら、「先に報告なんだけど、実は結婚することになりました!平成最後のプロポーズでした(笑)」と彼女からメッセージが届いた。

インスタグラムを見ていたら、仲良かった子が「令和1日目に入籍しました」と投稿していた。

26-27歳って結婚ラッシュだなと思っていたけれど、「平成最後の日」や「令和最初の日」の報告の数を見て、そしてついに親友と呼べる人の結婚報告を受け、元号が変わることが人生の大きな節目に相応しい大きな出来事だったんだなとようやく実感した。

 

昨日と今日、今日と明日、大きく変わらない。同じはずの日々を積み重ねて、あの頃とは大きく違う今がある。

元号が変わっても何も変わらなくて、でも大きく違う。そういう節目をハッピーな雰囲気で迎えられて良かったんだと思う。わたしが「平和のときもさぁ、」と言って「平成でしょ。令和とごっちゃになってるじゃん」と、いつもボケ役の同期に笑われた平成31年の4月1日を思い出した。平和な時代になりますように。

たくさんの瞬間を更新して

大好きな先輩と飲みに行ったら、彼は話の中で「人生で一番楽しかった時期っていつ?」と聞いた。

わたしはちょっとだけ今までの人生を振り返ってみたけど、悩む間も無く「今ですね」と答えた。

先輩は驚いたようで「今なの?それすごいなぁ」と言う。すごいんだろうか。いつだって今が一番だ。

 

先輩にとってはたぶん今が一番じゃないんだろう。前職のときかな、大学時代?もしくは高校生とか。

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人生をやり直して違う選択をしたいと思ったことはたくさんある。でも、ただ同じ人生を繰り返すだけなら、もうやらなくていい。この人生は一度でじゅうぶんだ。

中学も高校も大学も、もう二度とやりたくない。家族と一緒に住むのは、もう一度やってみたいかもしれない。

 

 

もちろん戻りたい一瞬一瞬はたくさんある。忘れたくない瞬間、ときを止めてしまいたかった。何度も何度も思い出して、色褪せてしまいそうな。

たとえば親友とくだらない話をしながら高校から駅まで歩いた帰り道、機嫌損ねて怒られることも多かった妹との旅行、初めての彼氏との初めてのドライブデート、学部の友達とドラマのモノマネして笑い転げた旅先のホテル、初めて案件を受注した日の高揚感、好きな人と手を繋いで歩いた深夜の交差点、朝起きたら繋ぎっぱなしだった通話から聞こえてきた彼の寝息。

 

そういう数々も、更新されていくんだろうな。だって今が一番楽しいし、戻りたいくらいの瞬間はきっとすごい速さで過ぎていく。

でもそういうたくさんでわたしはできてるからな、やっぱり今が一番だよ。

 

星になる

大学のクラスメイトが亡くなった。

朝まで職場の同期と飲んで、家に帰って暖房をガンガン効かせた部屋でうとうとしていると、友人から連絡が入った。「昨日の夜、○○くんが亡くなったそうです」スマホに映し出されたその文字は何度読み返しても信じられず、彼は今どこに住んでいたっけ、とただぼんやり考えた。

友人が送ってくれた地元のオンライン新聞のスクリーンショットには、26歳の薬剤師の男性がトラックにはねられて死亡したと書いてあった。26歳薬剤師、その言葉の重みでやっと現実なんだなと思った。

彼とは別段仲良かったわけではない。でも名簿が近くて、クラスも同じで、わたしのことをちかちゃんと呼ぶ数少ないクラスメイトだった。

 

身近な人が亡くなった記憶がない。父方の祖父母は、わたしが物心もつかないうちに亡くなっていた。わたしが大切な人の死を恐れるきっかけになったのは、高校生の頃大好きだったバンドのボーカルが亡くなったことだった。新聞の報道では薬のオーバードーズとアルコール摂取が原因の自殺と書かれていて、そんなわけないと強く思ったけど、真相なんてわかるはずもなかった。

 

ちょうどその頃、「流れ星が消えないうちに」という本を読んだ。加地君という男の子が亡くなって、その彼女と友人が、彼の存在を忘れないまま少しずつ前を向いていくような話だった。

 

誰かの死は、本当にすぐそこにあることだ。誰かの死を目の当たりにするたび、当たり前の日常が今日も明日も明後日もずっと続くわけがないことを思い知る。なのにいつまでも続くように錯覚している。

誰かに優しくするのも優しくされるのも、そんなの生きているからだ。わたしたちの考えるすべてのことは、生きている前提だ。

 

亡くなった彼と最後に会ったのは、彼らの卒業式の日のパーティーのときだ。わたしは卒業が遅かったので卒業はしなかったけど、パーティーには参加させてもらった。どんな会話をしたかなんて覚えてない。またね、と言って別れたかどうかも定かではない。

すごく仲良かったわけじゃないから、またねと言っても本当はもう会わないかもしれないとどこかで思っていたけど、その「会わない」がこういう形になるとは思っていなかった。だって会おうと思っても、もう絶対に会えないのだ。

 

今日と同じ明日がくることが当たり前じゃないって、本当にそうなんだ。やりたいことはやるべきで、伝えたいことは伝えるべきで、大切にすべき人を大切にしなきゃいけない。

 

 

流れ星が消えないうちに (新潮文庫)

流れ星が消えないうちに (新潮文庫)

 

 

シュガー・ラッシュ・オンラインを観てきました

エンディングで流れるイマジン・ドラゴンズのZero、とても好き。

 

まわりのIT業界の人や、ディズニー好きの妹にも「IT、ネット業界のひとは楽しめると思う」とずっと言われていて、それをやっと観に行ってきた。

シュガー・ラッシュの1のほうは観てなかったけど、話自体は問題なく楽しめた。ゲームセンターがインターネットに繋がってヴァネロペとラルフがオンラインに飛び込んだあたりで、「IT業界のひとは楽しめる」って言われた意味がわかった。

あと「ネット広告業界のひとは観たほうがいい」って言われてたのもすごくよくわかった。ネット広告業界で広告を出しながら自分でもわかっているけど、ネット広告ってうざい一面が多いんだよね。本当は「これ知れて良かった!」って広告でなるのが理想なんだけどな。

 

でも一番思ったのは、やっぱり他人を傷つけない・悲しませないって難しいんだなってことだった。

つい先日も書いたのだけど

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 相手が喜ぶことを考えるのって割と簡単だなと思っていて。この映画ではラルフが「ヴァネロペのために新しいコースを作ろう」って思ったり、「シュガー・ラッシュを救うためにインターネットでハンドルを探そう」って言ったり。

〇〇のために、って考えるのは楽しいというか、ある意味自分のためみたいなところもあるような気がする。相手の笑顔を見たいのは自分だし、喜んでくれたら嬉しいのも自分だ。

 

でもラルフは「ヴァネロペが自分のそばにずっといて欲しくて」、結局ヴァネロペが悲しむ選択をしてしまう。

これって自分の気持ちを優先しちゃって、これをしたら相手が悲しむかもってところまで想像できないからなのかなと。失ってから気づくとかよく言うけど、失うまで気づけないのも想像力が足りないからかなあ。

 

例えばやりたいことをやるために東京に出る、と言うと親が「そんなの絶対ダメ」と言うことがある。親は子どもを心配して、と思っているだろうけど、それで子どもの夢を摘むのは本当に相手のためんなんだろうか、ってなるのと似てる気がする。

 

このストーリーみたいに、少し想像力があれば、想像しようとさえしていれば、相手を悲しませずに済んだようなことってきっとたくさんある。思いやりとか優しさって想像力だなって思うし、やっぱり普段から相手のことを想像できるような人でいたい。

 

そんなことを考えつつ、ネット社会をよく現せていておもしろいな〜と思った。たまに映画観るのとても良いですね。

優しくすること、傷つけないこと

ちょっと悲しいことがあって泣いちゃった。2週間くらい前に課長に「そんなんだからやる気ないって思われちゃうんだよ」って言われたとき以来だから意外と頻繁に泣いてる。

誰かを喜ばせたいっていうのは割とよくあると思うんだけど、それって悲しくさせない・傷つけないことより簡単な気がして。喜ばせるためのなにかって考えるの楽しいし、大切な人が喜んでくれたら自分も嬉しいし、考えやすい。

誕生日に何あげたらよろこぶかなとか、手紙も用意しようか、いつものお礼にチョコでも買っていこうかな、そういえばお酒好きって言ってたしお土産に買おうかな。疲れてるだろうからこれは代わりにやっておこう、雨降るって言ってたから傘渡そうとか。

 

でも何をしたら傷つくか、悲しませるかって普段から考えてないし、例えば自分に余裕がないときに心無い言葉を言ってしまったとか、ちょっとキツイ言い方をしてしまったとか、なんかそういう些細なことで相手を傷つけてることってたくさんあると思って。

なのに、「傷ついた」「悲しかった」そういうことって相手からなかなか言われることがない。よほど仲良いとか心を許してるとかじゃないと怒ったり泣いたりって出来ない。少なくともわたしはそうだ。

それ悲しかった、嫌だった、腹がたった、そんなことほとんど言えなくて、ちょっと嫌な気持ちになったり落ち込んだり泣いたりして過ぎ去る。

 

そうやって自分も傷ついているのに、他人の痛みには気づかないまま過ごしているかもしれない。相手を傷つけない、悲しませないのって大切にすることだと思うし優しさだと思う。

わかりやすい優しさを差し出すのってある意味簡単だよ。わたしも得意だもん。

 

悲しい気持ちになったときは、少なくともわたしは、わたしの大切な人たちに同じような思いはさせたくないな、そのために気をつけようって思う。

2018年振り返り

今日チューターと6ヶ月分の振り返りをした。自己評価は75点、チューター評価は80点。

足りない25点ってなに?って考えたら、目の前のタスクをこなすことばかりに時間を割いてしまってて、長期的に必要なタスク(緊急ではないけど重要なこと)があんまり出来てなかったなあと。具体的に言えばお客様からの依頼ベースじゃない自主提案とかそのためのヒアリングとか、困ったときに相談してもらえる関係づくりや提案後のフォローとか。

そういう積極的な活動はなかなか出来なかったけど、頼んだことはほぼ完璧にできるし社会人としての基礎スキルはちゃんと身につけられたね、とチューターが言ってくれた。

 

2018年のスタートは国家試験の勉強だった。ほとんど人にも会わず誰ともしゃべらないような日々で、毎日重たい参考書を持って図書館と家の往復。こんなに辛いことなかなかないだろうって思ってた。

今年の目標も「国試に合格すること」にしてた。2月に国家試験を受けて、合格した。おそらく使うことのない薬剤師免許は今、部屋の壁に飾ってある。3月の時点で1年の目標は達成してしまったけど、友人がたまにお薬の相談をしてくれるのが嬉しかった。

それだけで免許をとった価値がある。

 

4月から東京で仕事を始めた。初めての土地で、それでも元気に楽しく過ごせてこれたのは毎日面倒を見てくれるチューター、一緒にがんばってる同期、なんでも教えてくれる先輩たち、飲みに行ったり遊びに行ったりしてくれる友人たちのおかげだなあと心底思う。

就職したときも、仕事を始めたときも、まさか自分が営業をするとは思ってなかった。営業職は自分に合っているとも向いているとも思わないし、よくできるとも思わない。だけど学ぶことが多くて、楽しい。

たまに夜寝ていてちょっと眠りが浅くなった瞬間に仕事のことを考えている(お客様の名前とか会社名とか、メニューの名前とかが頭の中に浮かぶ)ことがあって、わたしって思ったより仕事のことばっかり考えてるし好きなんだなあと思う。

 

プライベートで辛いことがあっても仕事をしている間は忘れられるし、夢中になれる。仕事があるから頑張れるし、ほんっとーに仕事に救われてる部分が大きい。しかも幸いなことに、仕事はやれば評価もしてもらえる。1年目だから無理そうなバジェットも与えられていないし、いろんなひとがサポートしてくれて、認めてくれて。

ありがたいことです。仕事も職場の人も大好き。

 

東京で友達もたくさんできて、それもとても嬉しい。みんなだいすき。

与えてもらってばっかりだからたくさん返せるように、がんばりたいなー。今年も恋愛だけはうまくいかなかったので、それも来年はがんばりたい。まぁ失敗も含めていろいろと学ぶことの多い1年でした。周りのひとのおかげ!

わたしのサンタさん

25歳、就職で上京するまでずっと実家に住んでいた。その間、バンクーバーに住んだり祖父母宅に住んだりしたこともあったけど、基本的にはずっと京都市のちょっと外れで過ごした。

小学校から私立に入学したので近所に友達は住んでいなくて(それでなくても子どもが少ないところだった)、小さい頃はお稽古ごとに通ったり、家でお絵かきをしたり本を読んだりして過ごしていた。

2つ年下の妹がいた。妹はわがままで、一人では何もできない子だった。よくケンカもしたし、反抗期には無視され続けていたときもある。でも基本的には仲良くしていた。


わたしが中学生になった年のクリスマス、母はわたしを連れてクリスマスプレゼントを買いに行った。妹のためのゲームソフトだ。「あの子はまだサンタさん信じてるのかなあ。幼いなあ」と言いながらどこか嬉しそうな母。いま思えばいつまでも子どもでいて欲しかったのだろう。子どもらしく振る舞うのも親孝行だと、24歳になった妹は言うけれど、それもまた真実だと思う。妹がサンタクロースを信じていると思いながら、なぜわたしはもうサンタさんの真実に気づいていると思っているのだろう、と13歳のわたしは思っていた。

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当然わかってはいたけど思わぬ形でネタバレをされたクリスマス、それでも朝起きたらわたしの部屋の入り口にはクリスマスプレゼントが置かれていた。妹が喜んでいるので、わたしも何も知らないフリをした。

その後も、何年経っても、クリスマスの朝は起きたらプレゼントが置かれていた。大きくなって寝る時間も遅くなったし、母が夜寝る前にセットするのでは気が付きそうなものなのに、いつも朝まで全く気が付かないのだ。

 

それはわたしが23歳になるまで続いた。「クリスマスにこれ買って!」などと、大人になってからもクリスマスにはちょっと高いコスメやシャンプーなどをねだってはいたものの、クリスマスの朝にはしっかりそれとは別のプレゼントが置かれていた。サンタさんはいたのだ。

24歳、バンクーバーで過ごしたときはさすがにサンタさんは来てくれなかった。25歳、祖父母のマンションに住んでいたときは、大学から帰ってきたら大きな紙袋が置かれていた。わたしは迷わず母にLINEした。

 

でももう、東京の一人暮らしのマンションだ。サンタさんがくるはずはない。

いつまでもわたしのサンタさんでいてくれた母が近くにいないことを、久々に寂しく思った。(クリスマスはまだだけど)

 

せっかくなのでカナダのクリスマスの記事も見てください! 

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