Chikanism

現実と非現実のあいだ

あの選択が正解だったのかどうかなんて、今でもわからない

約1年半前。

わたしは大学を休学して、半年間をカナダのバンクーバーで過ごすことを決めた。

 

本当に行こうと決めて、契約して、後戻りできないところに立ったのは23歳、2016年の4月くらい。6回生の春。まわりの人が就活を始めた頃だった。

 

海外に住みたい、英語を話せるようになりたい、そう思って色々なエージェントを回ったのは5回生の9月、2015年のことだった。まだ親にも言えずにいて、自分でエージェントと話をして、一番最善なプランを考えていた。どううまくやっても休学はしなきゃいけない、卒業が遅れること、卒論をいつ出すか、出発はいつにするか、色んなことを考えた。うまくいくかどうか、とにかく大学の卒業がうまくいくか、それが不安だった。でもワクワクした。

 

自分で決めたものの、やっぱりやめたほうがいいかなぁと思うことも何度もあった。

 

周りはみんな就活中。4年で卒業した友人たちはすでに社会人として働いている。その中でわたしだけ7年も大学生をやって、休学して留学して、国試へのブランクもあく。

 

直前になって誰かに相談したくなった。ねぇどう思う?この選択って正しいのかな、わたしの人生ってこれでいいのかな。

でもできなかった。相談した誰かにとって、わたしの人生はしょせん「他人のもの」だから。どれだけ真剣に考えてくれたとしても、誰かが責任をとってくれるわけでもない。わたしの人生に本気で向き合えるのはわたしだけ。

だから、相談しなかった。行くことに決めた。

この留学を生かすも殺すも、正解にするも不正解にするも、結局わたし自身。

せっかく掴み取ったチャンスだから、精一杯努力しようと思う。わたしにできるのは、これを生かすように、正解になるように動くだけ。

 

そう思って決めたんだったなぁ。これが正解だったのかどうかなんて、まだわからない。でも行ってよかったと思うし、得たものも確かにある。

今できないことは一生できない、それくらいの気持ちで生きていたいなぁ。なんだってなんとかなる。それは自分だけの力じゃないけれど。周りへの感謝も忘れないようにしたいものです。

選択するのはいつも自分、だけどいつだってそれをどこかで支えてくれる人がいる。