Chikanism

現実と非現実のあいだ

どうでもいい話 2017/7/16

優しさや思いやりは、想像力

相手の気持ちをどれだけ想像できるか

 

って、半年くらい前の日記に書いてた。もちろん自分が。

なんでそんなことを書き留めてたのか、今となっては思い出せないけれど、なんかハッとした。誰かのために何かをするなんていうのはちょっとおこがましいというか、自分のエゴのような気もする。

これをしたら、あの人は喜ぶだろうか。喜ぶ顔が見たいな。と思ったとして、結局相手の喜んだ顔を見て嬉しいのは自分なのである。じゃあ極論わたしのためじゃないか?とも考えられる。

 

疲れてたら自分勝手になりがちで、他人の優しさに気づけないこともある。だけど両親を始め友人とかいろんな人がわたしのことを考えてくれている瞬間が確かにあって、そのおかげでわたしは幸せに過ごせているのは間違いない。

そういう人たちのことをわたしも思いやれるように、どんなこと考えてるのかな、なにを求めてるのかな、っていうのをちゃんと想像できる人でいたいし、そのための余裕を失わないようにしたい。

 

 

 

ところで、面接とか面談に行くとよく「話すの苦手でしょ」「もう少し説明がうまくなったほうがいいね」「レスポンスが遅い」と言われる。

普段からそうか?といえばそんなことはなくて、どちらかというと早口で話すほうで、友人にはマシンガントークとも言われるほどだ。じゃあなんでうまく話せないんだろうっていう話なのだけど、緊張してるってわけでもなく、たぶん自分に自信がないからなんだろうなと思った。

「面接で聞かれることなんて全部自分の考えとかなんだし、間違いなんてないんだから、もっと堂々と話したらいいんだよ」と言われたこともある。だけどいつも答える瞬間に考えてしまう。好きなアプリとかおもしろいサービスとかについて語ってるときの話し方と表情がぜんぜん違うからいつもその話したほうがいいよ、と先日言われた。そのときはSpotifyとTinderの話をしていたのだけれど。

 

なんかこんなこと書いても仕方ないんだけど、うまくいってるほうじゃないから、「あーーーー」みたいになることもあるけど、でもまぁやるしかないので、やります。ああ。そんな感じ。