Chikanism

現実と非現実のあいだ

素直に生きる100の講義/森博嗣

 森博嗣の「素直に生きる100の講義」を読んだ。

素直に生きる100の講義 (だいわ文庫)

素直に生きる100の講義 (だいわ文庫)

 

 

わたしはミステリィを好んで読まないので、森博嗣の小説を未だ読んだことがない。

なのにこれを手にとったのは、開いてみたら実に面白かったからである。

 

森博嗣曰く、

どうして百なのか、よくわからない。お百姓さんが何故百なのかも不思議だ。

「ぶれない」なんて嬉しくもない。どちらかといえば、大いに「ぶれたい」のだが、残念ながら能力不足で、なかなかぶれられないのが現実ではないだろうか。

「講義」とあるけれど、「雑談」だ。それだけは、ぶれずに保証できる。

だそうだ。

独特な言い回しや文が癖になる。百姓のくだりはふっと笑ってしまった。

 

全体として、さすが工学博士というのか、知識人なのだなぁと感じた。

論理的である。

それに、少し変わった人だ。全然家から出ないらしい。

でも森博嗣が教授だったら、授業は聞いてみたい。作中で、講義をしていると学生はみんな死んだ魚の目をしているか死んだように眠っているので雑談を交えるが、そうすると卒業生はだいたい雑談しか覚えていないと書いている。

講義の本質的な内容を覚えていないのは申し訳ないが、わたしも雑談だけ覚えているだろう。

 

ところで高校時代の体育教師に変わった人がいた。わたしは体育が嫌いだったので、授業でサッカーをやらされたということしか記憶にないが、彼が雑談の中で

「毎日焼肉食ってたら飽きるやろ?たまには寿司食いたくなるやん。浮気ってそういうことやねん」

と宣っていたことだけは鮮明に覚えている。

焼肉を毎日食べることは不可能でたまに寿司を食べたくなるのには同意できるが、浮気をしてしまう心理には同意できそうにない。

 

 

 

この100の講義のなかで特に面白かったものを簡単に紹介する。

17. 「もう少し先に出会っていれば」という「先から目線」が多い。

今からでもできるはずなのに、「もう遅い」「ここまできたら戻れない」「積み上げた立場がもったいない」「なんとなく、もうそんな元気はない」という諦めがあるのだ。たぶん、そういう人は、高校生のときでも、若いときでも、やっぱり「いや、もう少し早く出会っていたら」と同じ言葉で自分を抑えてきたのだろう。

 

確かに、もう遅い、という場合は2年前でも同じことを言うかもしれない。

ただし本当にもう遅いこともある。 

 

25. 何故うちの犬は空を飛べるのか。

「何故○○なのか?」と問われたとき、どうしても「○○」が成り立つ理由を考えてしまう。これは、テストの問題ばかり解いている頭脳にありがちなことだ。つまり、問題には間違いがない、という前提がある。しかし、実際には、その問題がどうして成り立つのか、を先に考えなければならない。

 

これは目からウロコだった。なぜその問題が成り立つのか、その視点を忘れないようにしたい。

 

33. リバーシブルは便利なのか。

人間も、人生の半分のところで、裏返しになって生きてみたら、面白いのではないか。

僕は、これを実際にやってみた。それまでにない人生を生きられるかな、と仄かに思ったことを覚えている。あっさり裏返しになった。

実は、どんな服もリバーシブルなのである。

 

裏返しになって生きてみるとはどういうことなのだろうか。

まったくわからなかった。今までと違う生き方ということだろうか? 

 

48. たちまち越えられるようなものは、峠ではない。

峠というものは、やはりそれなりの高さというか、上る時間が必要だと思う。単なるピークのことではない。

だから、ピークを越えたと言えば良い。あるいは、微分すればマイナスになった、と言えば良い。これはジョークだが、前回に引き続きもう一つジョークを言えば、「さきほどまでの降雪が嘘のように、今は少し下火になりました」と言えば良い。ジョークですよ。

 

このジョークはおもしろい。微分したらマイナスになった。

ピークを超えたときに使ってみたいが、あまり伝わらないかもしれない。

 

58. ときどき抵抗を確かめた方が安全である。

東北の地震のときも、ブログには日本の九割は平常通り、と書いたら、クレームをつけてきた人があった。そういうクレームを気にしているわけでもなく、また面白がっているわけでもなく、ときどき「観測」している、ということだ。どんな人が読んでいるのか、どう感じる人がいるのか、という観測である。

 

「観測」している、とは面白い表現だ。

抵抗を確かめる、確かに重要かもしれない。転ぶ前に確かめよう。

 

89. 簡単になったなあ、と素直に喜べない理由。

非常事態においては、分散系のシステムが有利だ。集中系にはネックがあって、そこが途切れるとお手上げになる。ガスも電気も集中系だ。わからなかったら、ネットで調べれば良い、と考えている人が多いだろうけれど、ネットとケータイが使えなくなったときのことくらい想像してほしい。少なくとも、大事なものは二系列持っている必要があるだろう。

 

これも理屈にしたらわかるが忘れがちなことである。

こう思うとオール電化はおそろしい。うちはガスも電気もある。

ネットとケータイが使えなくなったら…とても困るな。どうしよう。

 

90. ついでに付属品も注文すると、付属品がさきに届く。

まあ、だいたい本命はあとから遅れてくるものだと相場が決まっているのかもしれない。

若いときに合コンの幹事をしていたことがあるが、たしかに、付属品の方がさきに来たような気もする。これは、言いすぎだと思う。失言かもしれない。きっと、あれは僕ではなかったのだろう。

 

 たぶん、失言である。

わたしは大抵先につくので、おそらく付属品のほうである。でも、遅れて来る人が付属品だったらがっかり具合も大きいように思うので、遅れてくるのは本体でよかったのではないだろうか。わたしはこれからも先に行くようにしよう。

 

このエッセイが面白かったので、小説の方も読んでみたいと思う。

 

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夢は叶うのか? 「それでもあきらめない ハーバードが私に教えてくれたこと/林英恵」

これは1年くらい前に読んだのですが、好きなので紹介します。

 

それでもあきらめない ハーバードが私に教えてくれたこと

それでもあきらめない ハーバードが私に教えてくれたこと

 

 

雨が降るまで続けられるから、雨乞いは絶対成功するっていう話があるのと同じで、夢も諦めなければ叶えられるのかなと思いました。

雨乞いというのは雨が降るまで続けるものだから、絶対成功する。

この話をきいたのはいつだっただろうか。


この本を読んで、わたしも夢を憧れで終わらせたくないと思った。

最近思うのは、やりたいことって「やりたいなぁ」とか言ってるうちはそこまでやりたくないんだと思うんですよ。

だってめちゃくちゃやりたいことだったら、どうやってそれを実現させようか考えるものでしょ?
そりゃあわたしの「G-DRAGONとハグしたいあわよくば以下略」みたいなのも夢、やりたいことだというならちょっと違うかもしれないけど。

できるならハグしたいけど、必死でハグする方法を考えるのはちょっと違う。



まずこれを読んで、ハーバードの学生さんたちの勉強熱心さに感心した。

日本の大学は勉強しなくてもなんとかなってしまうので、大学生はあまり勉強しません。

こないだあったフランス人も「日本の大学制度はクソや」って言ってた。

わたしは薬学部なので、1回生から死ぬほど授業あったしオフ日とかとれたことなくて、週2で実験レポート書いたり5回生からも週5で研究室に行ったりしてたから、そこらへんの大学生より勉強してるって胸を張って言えます。

でも絶対ハーバードになんてかなわない。てかそれより勉強してる日本の大学生なんて滅多にいないと思う。

でもそこまで必死で勉強に打ち込んでみたいとも思った。

日本では大学で学んだことが仕事に生きることはほぼない。

でもアメリカでは大学で学んだことがほとんどの確率で仕事に関係がある、というかそういう仕事に就く。って厚切りジェイソンが言ってた。

日本のみなさんにお伝えしたい48のWhy (ぴあ書籍)
 

 

 


この本に出てきた好きな言葉がをいくつか紹介します。


1つめは「Everything has a reason.」

すべてのことに理由がある。

今までもわたしはなるべく、自分に起きたことは何かしらの意味があると思うようにしてきたけれどより一層そう考えるべきだと思えた。
無駄とか遠回りとかも全て含めて、今の自分を作るのに必要だったのだと思う。


2つめは「ギブアンドテイクじゃなくて、ギブ、ギブ、ギブ・アンド・ビー・ギブンである」
見返りを求めると苦しくなるから、与えて与えて与えて、気がついたら何か嬉しいことがいつの間にか起こっているという話。
これは先日「嫌われる勇気」を読んだときにも思い出した。

他人が何を与えてくれるのか?ということではなく、自分は他人に何を与えられるのか?ということ。

 

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3つめは著者の林英恵さんが好きな言葉として挙げられている「Life is full with unexpected joys.
人生は予期せぬ喜びに溢れている。
素敵な言葉ですよね。
これは座右の銘みたいになってる。


 

ちょうどこれを読んだのが留学したくて迷ってるときでした。

これ読んで、やっぱり諦めたくないと思って行動した。

で、いま、あのとき夢見た留学がもう目の前に迫ってる。

少なくともわたしは、あのとき抱いた夢を叶えることができた。

あきらめなければ叶うのかどうかは、まだわからないけど、人生をかけて証明してみたい。

 

 

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「嫌われる勇気」を読みました

こんにちは!

巷で話題の「嫌われる勇気」読みました!

 

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

 

 

アドラー心理学に触れるのは初めてだったけど、心に響くところがたくさんありました。

 

哲人と青年の対話形式でアドラー心理学をわかりやすく解説している内容です。

しかし、青年、卑屈すぎだろー…がわたしの初めの感想。

あと最後の心変わりが早すぎるっ!

 

でもすごく為になる本だったので、自分用メモの意味合いを込めて以下にいくつか気に入ったところを引用させてもらいます。

引用はおそらくすべて哲人の台詞です。

 

あなたが変われないでいるのは、自らに対して「変わらない」という決心を下しているからなのです

 これは本当にそうで、明らかにそうしたほうがいいという状況についてアドバイスしても、聞く耳を持つ人と持たない人がいて、

やっぱり本人の意志次第だということがよくある。

「小さい頃からこうだった」というようなことも、その気になればちゃんと変えられるということ。

 

主観にはひとつだけいいところがあります。それは、自分の手で選択可能だということです。自分の身長について長所と見るのか、それとも短所と見るのか。

 長所と短所は紙一重とはよく言うことです。

わたしは緻密に計画が立てられない大雑把なところがありますが、考えすぎないぶん行動に出るのが早いので行動力があるのが長所だと思っています。

 

AだからBできない」といっている人は、Aさえなければ、わたしは有能であり価値があるのだ、と言外に暗示しているのです

 

健全な劣等感とは、他者との比較のなかで生まれるのではなく、「理想の自分」との比較から生まれるものです

 最近は迷ったときとか困ったとき、「理想の自分」ならどうするかを考えて行動するようにしてる。

すこしでも理想に近づけてる(はず)。

→これは「自分の強みをつくる/はあちゅう(伊藤春香)」を読んで意識していること。

 

われわれは「他者の期待を満たすために生きているのではない」のです

 例えば親は親の理想を押し付けようとしてくるけど、その通りに生きる人生は楽しくない。

楽しくない人生をわざわざ選ぶなんて、自分の人生が勿体ないよね。

 

われわれは「これは誰の課題なのか?」という視点から、自分の課題と他者の課題とを分離していく必要があるのです

およそあらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏む込むことーあるいは自分の課題に土足で踏み込まれることーによって引き起こされます

 これは考えさせられた。

例えば誰かを好きになって、わたしがその人と付き合いたいと思ってアプローチしたとして、それに応えるかどうかは相手の問題。わたしにはどうしようもないこと。

わたしの課題はアプローチをするところまでで、相手がどう反応するかは相手の課題。嫌だったら嫌で仕方ないしそういう反応をしてくるはずで、そうしたら傷付けばいいだけ。

人は傷つくことを恐れすぎてるんだなぁと思った。

そしたらちょっと気楽になれた。

ちょっと違うかなぁ?

 

「自由とは、他者から嫌われることである」

 よくある話で、10人いたら自分が何をしても嫌ってくる人が1人はいて、2人は何をしても好きでいてくれて、7人はどちらでもないというやつ。

よく考えたら、わたしが何をしてもわたしのことを嫌いになる人と仲良くなる必要なんてないし、

その時間があったら自分のことを好いてくれる人と楽しい時間を過ごす方が有意義です。

 

他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを怖れず、承認されないかもしれないというコストを支払わないかぎり、自分の生き方を貫くことはできない

 

共同体感覚とは、幸福なる対人関係のあり方を考える、もっとも重要な指標なのです

 

自己への執着を他者への関心に切り替えていく

これってすごく大事。

コミュニケーションでもよくある話ですが、自分の話ばかりする人より聞上手な人の方がモテるといいます。

相手のことを知ろうとすることがコミュニケーションの一歩。好きな人のことはなんでも知りたいものです。 

 

「この人はわたしに何を与えてくれるのか?」ではなく、「わたしはこの人に何を与えられるのか?」を考えなければならない

これを読んだ時に思い出したことがあって、

「それでもあきらめない ハーバードが教えてくれたこと/林英恵」に書かれていたわたしの大好きなフレーズ

ギブ、ギブ、ギブ、アンドビー・ギブン

てのがありまして。

与えて与えて与えて、やっと与えられると。

何事も見返りを求めているとしんどくなってしまうものです。

 

われわれが対人関係のなかで困難にぶつかったとき、出口が見えなくなってしまったとき、まず考えるべきは「より大きな共同体の声を聴け」という原則です

人は感謝の言葉を聞いたとき、自らが他者に貢献できたことを知ります

「人は、自分には価値があると思えたときにだけ、勇気を持てる」

 

「変えられるもの」と「変えられないもの」を見極めるのです。われわれは「なにが与えられているか」について、帰ることはできません。しかし、「与えられたものをどう使うか」については自分の力によって変えていくことができます

ブスに生まれたからって美人に生まれ変わることを願うよりも、ブスならブスなりに少しでもマシに見えるように努力しろってことですよね。

「ブスだし何しても意味ねーや」じゃなくて、「ブスだけど、努力しよう」が自己受容なのかなと。 

 

「神よ、願わくばわたしに、変えることのできない物事を受け入れる落ち着きと、変えることのできる物事を変える勇気と、その違いを常に見分ける知恵とをさずけたまえ」ー ニーバーの祈り

これすごい響いた。

最後の、その違いを常に見分ける知恵。これ本当に欲しい。

 

裏切るか裏切らないかを決めるのは、あなたではありません。それは他者の課題です。あなたはただ「わたしがどうするか」だけを考えればいいのです。

たとえ裏切られたとしても信じていたい。

そう思える人のことを信じたいですね。

 

対人関係がうまくいかないのは、吃音のせいでも、赤面症のせいでもありません。ほんとうは自己受容や他者信頼、または他者貢献ができていないことが問題なのに、どうでもいいはずのごく一部にだけ焦点を当てて、そこから世界全体を評価しようとしているのです 

「普通であることの勇気」

普通を拒絶するあなたは、おそらく「普通であること」を「無能であること」と同義でとらえているのでしょう。普通であることは、無能であることではありません。わざわざ自らの優越性を誇示する必要などないのです

 

人生とは、連続する刹那なのです「いま」という刹那の連続です。われわれは「いま、ここ」にしか生きることができない

人生における最大の嘘、それは「いま、ここ」を生きないことです

 「いま」の積み重ねが未来になるし過去になるから、ないがしろにした「いま」の先に良い未来はないと思うんですよね。

それに未来がいつまで続くかなんてわかんないもん。

 

あなたが「10年前に知りたかった」と思っているということ。それはアドラーの思想が「いまのあなた」に響いているからこそ、そう思うのです。10年前のあなたがどう感じていたかは、誰にもわかりません。あなたはこの話を、いま聞くべきだったのです

 これもそうで、今のわたしに意味があると思う気づきとかも、もし明日だったり昨日だったり3年前だったりしたらその意味を見つけられてないかもしれない。

だから「いま」起こることすべてに意味があるんじゃないかと思うんです。

 

 

 

そんな感じでした。

他にもいろいろ興味深いことが書かれているので、ぜひ一度読んでみてください。

 

 

 

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