Chikanism

現実と非現実のあいだ

普通という呪い

普通ってなんなわけ、そういう言葉に縛られたくないわ(関西弁)、なんて心の中で毒づくくせに、心の中では「普通になりたい」と渇望している自分がいる。それに気づくたびに普通ってなんだろう、と思う。でも普通になんてなれないんだろうな、とも。

 

この世に生を受けて26年、細かったことが一度もない。小学生の頃に好きだった男の子に「女子でも眉毛って繋がるんやな」と言われた。繋がってねえよ。中学生の頃に行き帰りが同じだった女の子に「ヒゲ剃ったほうがいいよ」と言われた。一方でわたしが化粧をしたり体毛を剃ったりすると、母親は過剰に怒った。「それ以上眉毛を剃ったらパソコン使わせへんで」などとなんの因果関係もない罰を言い渡され、わたしはますますこっそり化粧をするようになり、メイクがうまくいかない日は学校に行けず近鉄の駅で泣いたりしていた。

カースト上位層のグループに入ろうとするも遠回しの嫌がらせを受け、わたしはブスだしデブだしおもしろくもないし、勉強だけは(学内では)できて、上位層には入れないタイプなんだと悟った。あの子たちが話す芸能人やアイドルの話もわからなかったし、恋愛の浮いた話もなくて、漫画やアニメの話をしている方が楽しかった。後にビジュアル系にもハマったりして、ミクシィで世界の広さを知り、インターネットで趣味ブログやコミュニティを使って共通の話題のある人と関わっている方が楽しいことを知った。

今もネットで知り合った友達はたくさんいて、楽しいし大好きだし(ネットも友達も)、でもこれが世間一般で「当たり前」ではないこともちょっとわかる。

 

 

たぶんわたしの思う「ふつう」の女子は、そこそこかわいくて、スタイルも良くて、友達がたくさんいて、生活に困らない程度に稼いでいて、週末は家で映画を見たり友達とカフェに行ったりして、たまに恋人とデートして、みたいな子だ。きっとロングかセミロングでちょっと巻いた前髪と、パステルカラーのフレアスカートとかニットのワンピースとかが似合う。チークはピンクでリップもコーラルピンク。

これが世間一般の普通かどうかはわからないけど、たぶんわたしが渇望している普通で、でもたぶんなれない。

 

まぁもう26年生きたのである程度納得できる程度に顔を作る術も覚え、自分に似合う(と思われる)服も揃えて、さすがにメイクがうまくいかなくて仕事に行けないなんてことはない。

合う化粧品を探せるし似合う色も選べるしボディクリームを塗ったり脱毛をしたりジムに通ったり、「確からしい」努力を重ねられる(効果については言及しない)。褒められたらお世辞かなあと思いながらも「ありがとう」と言える。

きっと普通にはなれないけど、普通ってなんやねんと毒づきながら歳を重ねていくんだろう。あと7年くらいで十分な気もする。

自分の気持を伝えられるようになりたい

漫画はあまり読まない方だけど、珍しく定額制の漫画アプリをダウンロードしてみた。少女漫画みたいなのをいくつか読んだ。主人公が24〜30くらいのOLの。

やっぱり物語なのでストーリーがうまく進みすぎたりイベントが起こりすぎるところはあるんだけど、キャラクターの心情も描かれてるのですれ違う様子がすごくよくわかる。勝手に相手の気持を考えて、早とちりして、何も伝えずに一人で泣いて、みたいな。そういうのが積み重なって大きな問題になっていく。

でも日常もそうだよなあと思った。大事なことを言わずに、勝手に想像して、言いたいことは言わなくて、逆に思ってもないことを口にしてしまったりする。

たぶんあのときこう言えば良かったんだ、そうしたら違う未来だったかもしれない、ってことは人生で山のようにある。大親友とケンカしたとき、彼氏と別れたとき、他人に酷いことを言われたり言ってしまったりしたとき、好きだった人にキスされたとき。素直に感情表現して、言いたいことをお互いに言ってちゃんとわかりあえてたら揉めずにすんだとか、遠回りしなかったとか、誤解を生まずにすんだとか、悲しい思いをしなかったとか。

世の中の問題のほとんどは、他人にちゃんと考えや気持ちを伝えない・伝えられないことが原因のような気がした。

そうは言ってもわたしは意思表示も感情表現も苦手なので、日頃からちゃんと意識していかなきゃいけない。もう「あのときこう言ってたら」みたいな後悔したくない。

優しさについて

できるだけ誰かに優しくいたいと思うのは、わたしが誰かの優しさを受け取って生きているから。

 

自分が悲しい気持ちになったら、いつも、わたしは誰かに同じような気持ちを味あわせたくないなあってすごく思う。わたしは何気ない一言とか、たぶん悪気のない物言いとか、言い回しとか、そういう些細なことに悲しくなってしまうことがよくあって、だからこそ人一倍気をつけなきゃって思う。

普段話すときは意識しきれてなくて、たぶん誰かを傷つけてることがあると思う。だけど大事な人たちがたくさんいるし、傷つけたくない。

 

他人の気持ちなんてどんなに考えてもわからないから、どんなことに悲しくなるかなんてわからない。だからこそ想像力が大事だと思うし、思いやりって想像力なんだと思う。

 

 

この人を喜ばせたい!っていう気持ちもすごく素敵だし、もしも誰かがそう思ってくれたらたぶんとても嬉しい。だけどこの人を絶対に傷つけたくないっていう気持ちもすごく大事だと思う。

 

「アイデアの接着剤」という本に、転んだ相手のために絆創膏を準備するのは善意だけど、それよりももっと大事なのは相手が転ばないように万全の配慮をすることだっていう話があった。これが自主的な思いやりで、これがないと本当に相手を大事にできない。

誰でも彼でもに深い思いやりを持って接するのはなかなか難しいけど、わたしは相手が転ばないように配慮できる人でありたいなあ。もちろん絆創膏も持っていたい。

 

アイデアの接着剤 (朝日文庫)

アイデアの接着剤 (朝日文庫)

 

 

ただ時間だけが過ぎてく

数日前に26歳になった。

歳を重ねるたびに思うけど、26歳になる日が来るなんて思ってもなかった。もう丸々25年も生きてきたのかという驚き。

生きてみればあっという間で、気持ちはまだ23歳くらい。あの頃と変わったことなんて、自分を取り巻く環境くらいに思える。具体的には大学を卒業したこととか東京に住んでいることとか。

 

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誕生日の前の週末は帰省していて、しかも風邪をひいた。喉が痛いし鼻水がとまらないしで、でも帰ったからには友人に会って、両親や祖父母に会って。東京に戻ってきたら翌日は仕事でアポが3件続いていて、その次の日は全社的な飲み会があって1年目はその幹事もあり、その翌日はキックオフでのプレゼンもあった。

バタバタしてるうちに過ぎ去っていって、別に変わったこともこれと言ってない。25歳はわたしの想像してた25歳ではなかったし、26歳も想像と違う感じになるんだろう。想像通りなのも面白くはないから、それはそれでいいのかもしれない。

 

キックオフで1年後の目標を話す機会があって、前回の記事でも書いたけど将来やりたいことやそれを見据えた目標について考えた。そしたら目の前のことにいっぱいいっぱいで忘れかけてた色んなことを思い出せた。先輩は「たまにこういうことを考えなきゃいけないんだよ、忘れちゃうでしょ。そしたら身につくスキルが結果論になっちゃうから」って言ってた。たまに考えるようにしよう。

26歳もなんとなく過ごしてても過ぎていくけど、そうならないようにやりたいこともやりたくないこともはっきりさせて、ちゃんと努力しようと思う。歳はあんまりとりたくないけど、そのぶん色んな経験もできるはずだし、初心と謙虚さと感謝を忘れずに生きます。

ちなみに25歳のうちに一人でラーメン屋さんに行けるようになることが目標でしたが無理だったので、26歳のうちに行けるようになることを目標にします。

 

産業医ラボ.com

 

やりたいことってなんだっけ

10年後にやりたいことを考えていた。

 

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会社で1年後の目標を発表する機会がある。でもなんか大したことは思い浮かばなくて、最近ずっと考えていた。本を読んだりもした。

見かねた先輩が時間をとってくれて、たくさん話した。「10年後なにしたいの?ふわっとでもいいよ」先輩が黙って、わたしが話すのを待っていたので、ぽつぽつと考えていることを話した。

別に10年後って決めてるわけではないけど、将来やりたいこと、考えてること。

わたしはインターネットが好きだ。だからずっと関わっていたい。じゃあなんで好きかと言うと、インターネットには可能性があると思うから。日本においてはほぼ誰にでも均等に手が届く場所だから。なんでもできる。

 

ちかさんが強くそう思うってことはさ、と先輩が言う。「しかも薬学部出たのにわざわざうちの会社にいるわけじゃん。そう思う原体験がなにかしらあるんでしょ?」

言葉にうまくできなくて、悩んだ。ふたつある。

ひとつは、自分が情報不足で困った体験だ。もしも大学に入学する前に、薬学部の実態を知っていたら(薬剤師になるための予備校に近い感じ)、薬学部を選ばなかった。でもそれを知る術がなかった。だから、知らないことで損になるという、機会損失を防ぎたいという思いがある。同時に、情報があふれかえる社会で、うまく情報を取捨選択できないひともいて、だから必要な人に必要な情報が届くようになって欲しい。

もうひとつは、インターネットがあったから、ひとりじゃないと思えたことだ。中学生くらいのころ、いじめられていて、そんなにひどいいじめとかではなかったけど、学校は嫌いだった。でも家でインターネットに繋ぐとその向こうにはたくさん人がいて、やりとりをして、顔も見たことない人と盛り上がれた。わたしはひとりじゃなくて、世界は広い。それを教えてくれたのがインターネットだった。今もツイッターで知り合った人に直接会うこともあるし、meetupとかのイベントで知り合うこともある。昔はmixiなんかでも同じバンドが好きな友達を作って、遊んだりライブに行ったりしていた。

 

なんかそういう話をした。だから必要な情報が必要な人に届く世界になって欲しい、今の仕事もある意味そういう側面を持っている。でもいずれはtoCのコンテンツをやる方向に進みたい。いずれは会社を出るという話もして、言わないほうがいいかなと思ったけど、先輩は「そうだよね」と言ってくれた。

じゃあそのために今できることってなんだろうね、ってたくさんヒントをくれた。今の仕事もそういうことできるよね、その中でスキルとして身につけられることってなんだろうね。

 

色んな思いでここに来たはずなのに、目の前のことに手一杯になって忘れかけていた。いずれそっちに進もうと思っているはずなのに、そのために今なにをすべきなのかを考えずにいた。

こうやって目の前のことをこなしててもスキルは身につくけど、それって結果論のスキルで、必要なスキルを身につけるにはどうしたらいいかっていうのを考えて行動しないと欲しいスキルは身につかない。

 

「たまにこういうことを考える必要があるんだよ」と先輩が言った。忘れちゃうでしょ、わかんなくなるでしょ、って。そのとおりだ。

目的もなくがんばるのも悪くない。でもやりたいことがあるんだからそれを見据えて走らなきゃいけない。ちゃんと見直して、そしてまた走る。

産業医ラボ.com

夢うらない

 

 

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夢をみた。

長らくみた夢のことなんて覚えてなかったのに、さいきんよく夢を見るので気になって夢占いのサイトを調べた。

 

とはいえ別に素敵な夢だったわけではない。おとといの夢に出てきたのは、トイレだった。植物園のトイレに行った。誰かがわたしを待ってくれていて、トイレを済ませてその人の待つ自販機に向かった。

トイレでスッキリする夢なら、不安に思うことや問題がスッキリなくなりそうとのこと。探す夢なら心に溜まった愚痴や不満などを吐き出したいという気持ちの現れらしいけど、ちゃんと見つかったので問題なさそうだ。

 

昨日の夢にはプールが出てきた。これは生活が落ち着いて穏やかな心の状態を表しているらしい。ついでに人魚が出てきたのだけど、こっちは自分の中にある不必要なものを取り払いたいという心の現れです、と書かれていた。さらに潜在能力が引き出されるチャンス、自分磨きにはいい時期です、だそう。

 

まとめると、不安や不満とかがなくなってすっきりして、穏やかになったってことだろうか。次のチャンスに向けて準備でもしたらいいのかな。

 

考えてみてもそんなに不安なことは思い浮かばなかったけど、強いて言うなら仕事のことだろうか。月末に初めて案件を受注した。運要素が強かったのだけど、その前々週と前週にメールしたりアポをとったりしていたおかげではあった。

その案件が上手く進むか不安で(というかミスをしていないか不安で)、実は夜ほとんど眠れない日もあった。数日前に無事終わり、いろいろと大変だった9月の営業日も終わった。

それでちょっとホッとしたのだろうか。

 

当たってるかはわからないけど、無意識な不安や安堵があるのかもしれない。わたしはいつも自分のことがよくわかっていないから。夢っていつもよくわからないものだけど、本当に不思議だよね。

 

そして今日みた夢には大仏が出てきてツーショットを撮ってたんだけど、仏像の夢もかなり良い夢らしい。仕事の上昇を暗示だって。

コーヒーの香りのあの街

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コーヒーの香りなんてそこらじゅうに溢れてるはずなのに、なぜかありふれたコーヒーの香りでバンクーバーの街を思い出した。

通っていたカレッジのあるガスタウンは少し古い面影を残す街だ。レンガ造りの建物が並び、風情がある。蒸気で動く時計があって、ただの時計なのにちょっとした観光スポットだ。そのすぐ横にスタバがあって、観光スポットの近くだから常に混雑している。

 

わたしはそれまであまりカフェに行かない人間だったのだけれど、自販機がないこの街ではカフェ以外にどこで飲み物を手に入れたらいいのかわからないくらいカフェだらけだったし街を行く人はみんなコーヒーを片手に歩いていた。

 

わたしがよく行っていたのはその蒸気時計をスタバをもう少し通り過ぎたところのThe Coffee Barというカフェだった。ここは少し落ち着いたところで、人もそんなに待ってなくて、言わば穴場。チャイラテが美味しかった。

「どこか水を買えるところ知らない?」と聞いたら先生が教えてくれたのだ。

 

朝ルームメイトたちと家を出てバス停でバスを待っていたあの時間、駅から学校までぼんやり歩いていた道、たまに行ったジャパニーズレストラン。

 

最近の肌寒さは9月のバンクーバーみたいだ。空気が少し澄んで、ちょっと寒くて、コーヒーの香りが漂っていた街。