Chikanism

現実と非現実のあいだ

誰もわたしを待ってない

家を出て、2時間歩いた。行き先は決まっていた。いつも仕事に行くときにバスで通る、バンクーバーとノースバンクーバーをつなぐライオンズゲートブリッジ。

どうしてもあの橋を間近で見たかったし、そしてそこから夕日が見たかった。

あの大きな橋を本当に人が渡れるのかはわからなかったし、正確な行き方もわからなかった。わたしのiPhoneWi-Fiがないとインターネットに繋がらないので、道順は調べられない。でも、歩いた。いっぱい寄り道をした。

だって、誰もわたしを待っていないんだから。帰りが遅くたって、大丈夫なのだ。そして、わたしはひとりでいるのが好きなんだな、と思った。誰も待っていない寂しさと、その反対側の自由。

ライオンズゲートブリッジはスタンレーパークの向こうにある。スタンレーパークの手前の湖が凍っていた。

霜だか雪だかわからないけれど真っ白な草木、木の近くにたくさんいるリスや小鳥たち。

2時間近く、GPSだけを頼りにスタンレーパークの森の中を歩き続けて、わたしはようやく橋が見える場所に出た。

大きな橋と、その向こうにそびえる山々。

わたし、これを見るために、ここに、バンクーバーに来たのかもしれない。本気でそう思った。これがわたしの見たかった景色。

恋い焦がれた夕日。

外はマイナス3度とかで、わたしはパンツの下にタイツを穿いて、ヒートテックを着て、今日の散歩のために手袋を買って、2時間も森の中を歩いた。残念ながら橋は思ったより長くて、渡っていたら日が暮れてしまいそうだったので断念した。なんせ来た道は街頭もろくにない道で、暗くなったら、ひとりが好きとはいえひとりで歩くのが躊躇われた。

スタンレーパークからの帰り道。本当はもっと暗くなってから海に映るダウンタウンの街を見たかったのだけれど、それも寂しくなったのでやめた。

 

行き先も、道順も、時間も、ろくに決めずにフラフラ歩くのが好き。思いついた場所に行って、おもしろそうなものを見つけたら寄り道して、間違えたら引き返して。だからひとりでいるのが好きだし、向いてるんだと思う。

だけど、湖が凍ってたら「水のうえを歩いてみたくない?」って言ってふざけて湖に片足を踏み出すわたしを笑って見守ってくれるひとがいたらなって思うし、暗い夜道を歩いているときに腕を掴んだら「怖いの?」って手を握ってくれるひとがいたらなって思う。ときもある。

ともかく、わたしはここでひとりだ。家でわたしの帰りを待つひとはいないし、フラフラ散歩していても誰も何も言わない。自由って少し寂しいのかな。でもその向こうで、わたしは本当に見たかった景色に出会った。

※2016年12月 記