Chikanism

現実と非現実のあいだ

裏切らないでね

一年前くらいに書いたやつ。↓

noteに書いてたけど、見返したらなんか懐かしくなったので。

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今年は、努力は裏切らない、を体現したいと思っていた。毎日の積み重ねが絶対かたちになるって示したいと。

たとえば毎日ちょっとずつ筋トレとストレッチをしていたら少しずつでも体型は変わっていくとか、毎日コツコツと勉強したらちゃんと資格試験に通るとか。

でも色々考えてした準備が無駄になってしまうこともある。面接のために情報を集めて業界の勉強をしてたって受からないことのほうが多いだろうし、きっと無駄な努力がたくさんあるはずだ。わたしの努力はよくそうやってわたしを裏切ってきた。

だけど、それでも努力は裏切らないと、わたしは信じて続けたいのだ。

昨日、2週間ぶりにカレッジに行った(サボっていたわけではなく、インターンが始まったので学校へ行くのは2週間に1回でいい)。ちなみに次の投稿日は卒業の日だ。授業で、最初にこの学校へ来たときの自分と、今の自分について話すアクティビティがあった。ほとんどの人はだいたい同じで、最初はみんなシャイでナーバスになっていて自信がなかったけれど、たくさんの授業とインターンを経て「自分はより良くなったし、自信もついたし、快適だ」と言った。わたしも例に漏れずそうだった。

今でも全然だめだ、と思うことはあるけれど、それでも最初より断然よくなった。と思う。ベターだ。

そして、同じことを他人に向けて言うことになった。クラスの誰かひとりを選んで、「最初このひとはこうだと思ったけど、本当はこうだということがわかった」と述べる。

そうしたら10人くらいのクラスのうちの3人が、わたしについて言及してくれたのだ。

「最初は彼女はすごくシャイだったけれど、今はオープンマインドだ」とか、「プロアクティブだ」とか、「プロフェッショナルに見える」とか。

わたしは少しでも変われたのだと、よくなったのだと、自己満足じゃなく、まわりもそう思ってくれている。それが嬉しかった。そして、そうやって認めてくれて、わたしの変化や成長を一緒に喜んでくれる仲間がいる、お互いに高め合える仲間がいる、それがどれだけ幸せなことか身に沁みて感じた。

英語が全然わからなくて、話せなくて、課題が多くて、ストレスばっかりだったあの頃。意見を求められては何も言えずに、泣きたいような気持ちになってばかりだったあの頃。それはたった6ヶ月前で、全然昔のことじゃない。

わからないまま、悩んで、それでも少しずつ前進してこれた。だから、小さな努力もいつか実になると、わたしは信じて努力を続けたい。報われないと思う日も乗り越えて、がんばってよかったと思える日を、一緒に喜んでくれる仲間と迎えたい。な。

 

 

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まぁそんな留学生活もとっくに終えて、日本にいるわけだけど。

努力なんて他人に認めてもらうものでもないし、自分がわかってたらいい。評価されるのは結果だ。良くも悪くも。

だからこそちゃんとやらなきゃいけない、と気を引き締めて。辛かったしんどかったときの記憶って、基本的にほとんど忘れちゃうよね。