Chikanism

現実と非現実のあいだ

25歳と26歳のあいだ

冷静と情熱のあいだ生物と無生物のあいだ、25歳と26歳のあいだ。なんとなくそれっぽく聞こえる気がしたので並べてみた。あいだってなんなんだろう。どこで明確に変わるんだろう。

年齢は幾分か「あいだ」がわかりやすい気がする。生まれて26年目に入れば26歳だ。

わたしはあと1ヶ月くらいで26歳になる。25歳になったときはまさか自分が26になると思ってなかったし、24になったときは25になるとは思ってなかった。なぜか。

でも誕生日がきたって、明確になにか変わるわけじゃない。今日と明日でそんなに大きく何も変わらないのと同じで、25歳の昨日と26歳の明日がそんなに変わるわけない。なのに26歳になってしまう。

 

もうアラサーじゃん、人が言う。歳をとるのは当たり前で、生きてれば時間が過ぎて、わたしは10年前は15歳の中学生だったし、5年前は女子大生だった(それで言えば半年前も女子大生だったけど)。

なのになぜか、歳はとらないほうが良いような気がしてしまう。若さが正義だと。

小さい頃は早く大人になりたいと思っていた。大人っぽいと言われるのが嬉しかったし、言われたかった。今はもう大人っぽいね、なんてコメントされるような歳じゃない。大人だから。

 

26歳、なりたくないなあ。思い描いてた26歳じゃないから。理想に近付こうと日々考えてるはずなのに、なかなか思い描いていたところにたどりつけない。

理想というのは、たとえば仕事ができることだし、他人に気が遣えて優しくできることだし、人づきあいが上手くなることだし、いつもきれいな服を着ていることだし、きれいなネイルをしていることだ。

仕事なんてまだまだできないし、気遣いもできないし、コミュ障は治らない。服も気づいたら手抜きしてしまうし、ネイルサロンに毎月通うお金はない。

 

25歳と26歳には「あいだ」がない。今日までは25歳で、明日からは26歳。明確な区切りがある。だけど便宜上26歳になっても、きっとわたしは26歳になりきれずにいると思う。こんなんで26歳なんてなあ、ってずっと思ってるだろう。

まだ1ヶ月あるし。少しでも理想に近づきたいなあ。