Chikanism

現実と非現実のあいだ

春なので新しいバイトをはじめました

f:id:chikanism:20170407000048j:plain

(撮影:北野天満宮

 

春ですねえ。

去年もなんだかんだお花見をしそこねたので、今年こそはと思っている。土曜日にお花見の予定なのだけれどどうやら雨っぽくて辛い。桜の写真が撮りたい。

 

今月から本格的にバイトを始めた。今までは毎日8時間以上座っているのが日常だったのだが、おかげさまで1日に少なくとも5時間は立って走り回っている。チェーンの飲食店なのだけれど、土地柄観光客が多い。さっそく外国人対応係になってしまい、簡単な英語で伝わらないと「レジ代わるんで◯番に行ってください!!」と呼ばれることがある。

北米でレストランに行くとよく"Hi, how may I help you?" と言われたので、わたしもそんな感じで対応を始める。するとだいたい「英語はなせるんだね!」と喜んでくれるのでありがたい。ありがたいです。今日も外国人のお客さんにウインクされてドキムネだったわよ。

ところでわたしが行った北米では、うちの店みたいに「安くで売って、滞在時間を短く、とにかく回転率重視で稼ぐ」って感じの店はほぼなかったように思う。店員がスピード重視で走り回ってるレストランなんて、なかったなぁ。どちらかといえば走り回らないレストランで優雅に働きたいものだけれど。少なくともバンクーバーでは店員はよく談笑していたし、列が伸びててもマイペースにレジ打ちをしていた。客の前で水を飲んでたって文句を言う人もいない。

日本だと客の前で談笑してられないし、水だって飲めないし喉が痛い(喉が痛いときは水溶性アズレン含有のトローチがオススメ)。客が並びだすと無意識に焦るし、対応しててもどこか焦りがあって早口になってしまう。そういうのよくないなぁ。焦ると余計に失敗するものなので、急いでいるときほど落ち着いていたほうが結果的に良いと思う。

 

とはいえ、じーっと座りっぱなしだった毎日がよく動く毎日に変わったので、それはそれでよいことな気がする。余計なことを考えなくてもいいし、目の前に集中できる。ある程度の忙しさは、精神を健全に保つために必要だ。少なくともわたしには。

大学に入ってからバンクーバーに行くまでの5年半、毎日毎日サークルやら研究室やらでまともに休みもなく学校に通い続けていたので、こんなにがっつりバイトができるのもある意味新鮮で楽しい。これがお気楽な大学生像なのかなぁと思ったりもする。でも薬学部の5年半+バンクーバーでの半年、ちゃんと勉学を(それ以外も)頑張ってきたと言える自信があるので今バイトばっかりしてても後ろめたくないんだと思う。また9月からの半年も国家試験のために勉強漬けの日々になるわけだし。

あとね、結構声出さないといけない系なので、これもわたしにはいい刺激な気がする!

 

就活のほうは説明会は4月いっぱいで終わらせたいところ。次面接受けるところに「自己分析しっかりしてきてください」って言われてるんだけどジコブンセキナニソレ状態なのでヤバイ。

そんな感じでそのうちバタバタと東京にも行く予定ですので、美味しいお店とか時間潰せるカフェとかあったら誰か教えてください。関係ないですが野望を述べておくとオリンピックまでに結婚したいです!!

 

あっそういえばバイト先のパートさんに「つぎ大学一回生ですか?」って言われた!わたし6歳も年齢詐欺れてるけど逆に大丈夫!?

違和感だらけ

昨日、友人と飲みに行った。彼は特殊な状況にいて、2浪で大学に入り1留したため、わたしと同い年だけど大学生(修士でも博士でもなく学士)というレアな感じで似たような境遇にいる。一個下の後輩で留年した子にも「ちかさんと同じ境遇ですよ!(就活的な意味で)」と言われたけれど、同じにしないでほしい。大事なことなのでもう一度言うけれど、わたしは留年じゃないので一緒にしないで。でもシューカツで年齢とか聞かれると答えづらいっす。

(そういえば彼と知り合ったのはかれこれ約10年前、mixi全盛期のことである。よくわからないんだけど、何歳下の子までミクシィを知っているんだろうか…。ミクシィで出会ったんですよ。10年も前に。同じバンドが好きな、遠くに住んでる男の子だったんだけど、彼がうちの近所の大学に入学したのでそれを機にたまに会うようになった。)

 

それはともかく、彼にも言われたのだけど、「薬学部で留学って珍しくない?」。その通り。実は身バレしないかヒヤヒヤしてる。万が一、シューカツしててWEB系の会社を見てる薬学部で留学帰りの女に会ったら90パーくらいの確率でわたしなんじゃないですかね。恥ずかしいのでこっそり声かけてくださいね。

 

てことが言いたかったわけじゃなく、ちょっと前に言われた一言を思い出したのだ。

「もし会社とか見てて違和感を感じたなら、その違和感を大事にしたほうがいいですよ」

ウォンテッドリーで話を聞いてみたいボタンを押したら親切にもSkypeで面談してくれた人事の方に言われた。30分くらい会社の説明をしたあと、会社に関係ないことでもなんでも聞いてくれていいですよって言ってくれてお話した。色々話して、わたしのやりたいこととその会社は違ったんだけど、「◯◯(会社名)は?△△(会社名)は?」とか提案してくれたり、アドバイスしてくれたり。それでさっきの「違和感を大事にしたほうがいい」と。1時間もSkypeで面談してもらってアドバイスまでもらって彼にとってはメリットゼロすぎる感が強いけど、わたしにはとても良い時間だった。

でもその人事さんにも言われた。「薬学部で留学って珍しいキャリアですよね」と。なんで留学したのってよく聞かれるけど、深い意味はあまりなくて、好奇心的な要素が大きい。新しいものが好きで、未知の世界はわくわくする。やったことないことはやってみたい。やってみたい行ってみたい、それが強すぎて行くことにした。そういえばわたしの学年から研究室配属が早まる話を聞いたときの高揚感も未だに忘れられない。来年の今頃は、わたしは多分これから始まる社会人生活にわくわくしてるだろうなって思う。

 

色々書いたけど何が言いたいかというと、違和感を大事にしようってこと。なんかGDでイノベーションについて話し合ったときも、それが出てきたときの違和感って大事だよねって誰かも言ってたし。

好きなものがいっぱい

毎日嫌なこともイライラすることもテンション下がることもあるんですが、やっぱり気持ちよく生きてたい。うん。

 

嫌いなものより好きなものがたくさんある世界のほうが絶対たのしいよね。わたしは基本的に原チャで過ごしているので雨が嫌いですが、嫌いな雨の日もちょっとうきうきできるくらいカワイイ傘が1本あれば、ちょっと楽しく過ごせるよね(傘すぐ失くすんだけどね)。

好きに理由なんてあんまりなくて、わたしは春のぽかぽかした日が好きだし、桜も好き。お別れは寂しいけど春の新しい出会いにはどきどきするし、春服はかわいいし好き。パステルカラーのスカートを穿けば、素敵なパンプスを穿けば、なんだか素敵な場所に連れて行ってもらえる気がする。

夏のうだるような暑さも好きだし、ひまわりが好き。透けるようにきらきらした海も、反射する日差しも、せみの鳴き声も。

 

 

今日またお参りに行った。毎年初詣に行っている下鴨神社なんだけど、今年は日本にいなくて行けていなかったので説明会の前に行くことに。おみくじはまた大吉だったので、本当にハッピーな日だ。

下鴨神社には縁結びで有名な相生社というところがある。素敵な人に(恋愛的な意味で)出会いたいという気持ちももちろんあるけれど、今は就活もしているし、そういう意味でも素敵な縁が結べたらなぁと思う。毎日説明会やセミナーに行くけれど、わたしはこれが意外と楽しくて、たくさんの人に会えるのが好き。だから幅広い意味で、素敵な出会いがたくさんあればいいなって最近は考えてます。下鴨神社の敷地内に美麗の神で有名な河合神社もあるので、いい笑顔で笑えるようにともお願いしてきた。

 

あしたから4月。なにげに1週目にバイト以外の予定がなくて不安だけど、がんばりましょう!(^o^)!

卒業生ぶるのは簡単だった

数日前に、在校生のコスプレをして卒業式に出た、みたいな記事があった気がしますがわたしは卒業生のコスプレをして卒業式に出てきました。袴を着て、写真撮影もしてもらえたので、卒業証書も持たせてもらって。卒業生ですって言っても誰にも疑われなかったと思う。

 

これは本題ではないのですが。ここから本題。

 

明日はいいことありそうだな〜と思いながら昨日寝た。実は目覚ましの時間を1時間間違えていたのだけれど、間に合う時間に自然に目が覚めたので遅刻することなく説明会に赴くことができた。

会場についてみたらひとつ問題があった。わたしは私服可と明記してあるところしか予約しないポリシーだったのだが、今日の会社は斡旋業者みたいなところで紹介してもらったところだったので、服装についてをチェックするのを完全に忘れていたのだ。忘れてたな、と思って往路の電車で調べたけれど服装についての記載なし。

書いてあったところで既に家を出ていたのでとき既に遅し、だけれども。到着してガラス張りのセミナールームの前を通ると、なんと全員スーツではないか。参加者は20名ほど。だいたい私服可の説明会でも6割くらいはスーツなもんだけど、今回は状況が違う。わたし以外が全員スーツである。入ろうか入るまいか迷ったが、来てしまったので入った。

周りがみんな黒のリクスーを着ているなか、水色のニットに芥子色のスカートのわたし。完全アウェー。ちなみに上下ユニクロである。カジュアルすぎなかったのがせめてもの救いだった。

 

でも行ってよかった。また良い話が聞けた。人事担当者はこれまたすんごい話の上手いひとで、会社の説明は4分の1くらいで、残りのほとんどは就活全般とか人生についての話だった。

macを作っているアップルのロゴは、欠けている。でもなぜ欠けていることがわかるかというと、完全な状態を知っているからだ。これと同じ理論で、自信がないってよく言うけれど、自信がないことにどうして気付けるかというと、自信がある状態を知っているからである。

「面接とかで他人よりすごいアピールするひとがいるけど、それって意味ないよ。他人にはなれないでしょ。それは誰にでもわかることじゃん。だったら比べても仕方ないでしょ。まずは自分に向き合わないと」と彼は言った。

 

留学してたとき、まわりに比べて全然英語が話せなくて、焦ってたわたしに先生が言ったのも同じ言葉だった。「他人と比べても意味がない。スタートもバックグラウンドも違うんだから他人とは違って当たり前。自分と比べなさい」。わたしは他人のことや、誰からどう見られるかを気にしていないふりをしながら、本当はすごく気にしていたことに気づいた。そっか、わたしって結構他人の目を気にしてた。

さいきん自信をなくすようなことが多くてちょっと凹んでいたこともあったけれど、それもどちらかというと他人と比べてしまっていた気がする。

 

そしてハッピーな予感は当たるもので、今日はES通過と1次選考通過のメールが来た。一昨日ひいたおみくじも、大吉だった。ハッピーは引き寄せるものな気がする。さて今週もがんばろー。(曜日感覚ない)あしたも良い日になりますように。というか素敵な春が見える気がする!笑

 

 

ところで、スーツ着用の場合はスーツ着用って明記されてるものなんだろうか。なにも書いてなかったらスーツ着ていくものなのかな。あと今週中に連絡しますねって言ってたのに連絡来ないところはなんだよって思う。失礼じゃないですか!こっちからお断りです!

時間とお金とこころの余裕

数日前、たまたま時間が余っていたのでマッサージに行った。

といってもそんなにハードルの高いものではなく、イオンみたいなところに入っているチェーンのマッサージ店で、20分2160円とそう高くもない。

 

肩こりも酷かったので悩んだけれど、足裏は身体の全てに繋がると聞いたことがあったので、その時は足裏のマッサージを頼んだ。

足の裏から、ふくらはぎ、膝上までをマッサージしてくれる。わたしのふくらはぎを触った担当さんが、「うわ、脚パンパンですねぇ」と驚きの声をあげた。「ここ、ゴリゴリなってるのわかります?これ老廃物です」というのは、土踏まずのあたりだ。どれだけ疲れていたのかわからないが、兎にも角にも気持ち良さすぎて、うとうとしていたら終わっていた。

 

終わると入り口近くの席に案内され、ハーブティを出してくれた。それを飲みながら、足の裏の図を見ながらどこが疲れていたのか、不調かなどを解説してくれる。

「腸のあたりがすごかったですね。あと脾臓のところもなんですけど、身体弱ってませんか?大丈夫ですか?あとここも、ここも、ここも…。正直ほぼ全部ですね。すごくお疲れみたいですけれど」とのこと。

そんなに疲れていたつもりもなく、身体が弱っているつもりもなかったので、驚いた。就活で歩き回っているからだろうか。確かに毎日出歩いているし(私服のところしか行かないのでヒール特有の疲れみたいなものは他の就活生に比べたらマシだと思うのだけれど)、夜遅くなることも多い。ほぼ毎日大阪まで行くし、説明会に選考会がくっついていることも多々あるため気疲れも多い…ような気もする。

それなりに楽しんでいるつもりだけれど。

 

「今回は20分のコースですけど、次は40分のコースでガッツリほぐされた方がいいですよ。たぶん脚の細さが変わりますよ〜!」とのこと。

肩や肩甲骨周辺も捨てがたいけれど、浮腫はかなり気になるので40分コースも試してみたいところ。

 

やっぱり疲れはそれなりに溜まるものだし、たまにはマッサージでリフレッシュしたいなぁと思った。そんなに高くないし、説明会と説明会の空き時間にパッと行けそうなのも魅力だ。

こういうところで心にも余裕を作っていきたいものである。身体は資本だし、大切にしなきゃね。

他人から見た自分と自分で考える自分の差

自分のイメージとか印象とか、他人から見た自分について他人から聞くことってそうないのですけれど、同じようなことを言われることもあります。

 

本当によく言われるのが、「書道やってるってすごいギャップだね」ってやつ。誰かと話していると昔の部活の話になることがありますよね。趣味とかの話の延長だったりもするし、就活の面接とかの一環だったり。で、わたしはスポーツなどは苦手でやってこなかったし、中学生のときは書道部で今も書道をやっているので書道の話をするのですが、だいたい「え、意外!ギャップだね!」というような反応をいただくことが多い。

以前「書道部」へのイメージの話も書きましたが、おそらくどちらかというと「地味」だと思われてるんだろうな。今日お話した相手には「ダンスしてそう」と言われました。これは初めてだけど、他には「バスケしてそう」「テニスしてそう」と言われたことがあります。どうやら運動神経ゼロなことは隠せているみたいで、ちょっと嬉しい。

 

次に就活関連では「営業が向いてそう」と何度か言われたことがあります。わたし自身はコミュ障だし営業が向いているとは全く思わないのですが、説明会やイベントに来てる人事の方やリクルーターの方にそう言われるということはもしかして営業職もアリなのかな?と思ってしまう。

 

あとは意外と真面目なんですねとか意外とピュアなんだねとかよく言われる。わたしは授業も全部出るタイプだし、学生のうちに学業をおろそかにしてまで何かをするのはダサいなっていう価値観を持っているので6年大学に通って授業をサボったのは1回だけなんですけど、「もっとやんちゃしてそうに見える」そうです。見たまんまやんちゃしてるよりはギャップがある方がいい気がしますが、そもそもそう見えること自体が問題な気も。とはいえメイクだけはあんまり変える気がないので、代わりに自分の考えや思っていることはしっかり伝えていかないとなぁと思った。

 

一緒に作業したり授業受けたりするような友達からは「作業が早い」とか「テキパキしてる」と言ってもらえるので、それはそうなんだと思います。自分の内面のことはともかく、見た目は客観的に見るのは難しいので、いただく意見は「へえ〜そうなんだなぁ…」と思えるので貴重だなって思う。

 

そんな感じです。

世間知らずと定規を使えない人の話

「アナタは知らないだろうけど、世の中には定規の使い方も知らない人間がいるんだよ。教えるとか教えないとかそういう問題じゃない。とにかく使えないんだ。」と、昔の恋人は言った。

彼がわたしを「アナタ」と呼ぶのはおどけて言うときなので、別にシリアスな展開ではなかったけれど、なんでこの話になったかは忘れてしまった。

 

彼の意味するところはつまりわたしの世間知らずさだ。彼が言うように、わたしは定規の使い方がわからない人に会ったことがない。

わたしは小学校から私立に通っていた。うちはお金持ちではないけれど、まわりにはお金持ちも多かった(※)。中高大は一貫なので取り巻く環境は変わらないけれど、小学校の同級生には東大とか京大に進学した人も多いし国立医学部に進学した人も多い。

というのも客観的に見れてはいないのかもしれないけれど、たぶんわたしはそれ以外の世界を知らないのだ。

彼とは大学で出会ったので学歴のレベルでは同じだろう。でも彼は高校までは公立で育ち、高校は工業高校だった。技術面ではよく出来る人で、その関連の学部に推薦で来た人だった。彼は駿台の存在を知らず、大学に入って友人の口から出た「スンダイ」と言う言葉をどこかの大学(東大、みたいな感じ)だと思ったらしい。

 

彼の言う通りだ。往々にしてわたしは彼に「世間知らず」だと言われることが多かったけれど、小中高大ずっと私立で育ったわたしには見えなかった世界がたくさんあるのだと思う。彼の意味する「世間知らず」には、たとえばわたしがテレビを見ないせいで芸能人や有名なテレビ番組を知らないことも含まれていたし、体重計はカーペットの上で使えないなど日常生活における知識も含まれていた。

公立の学校に通ったことがないから、何がどう違うのかは本当に全くわからない。彼がわたしに言いたかった「定規の使い方を知らないひと」の意味も、たぶんわかっていないのだろう。

 

 

郵便局に勤める友人が、「封もしない封筒を持ってきて、手紙の出し方をイチから聞いてくる人がいる」と言っていた。若者から老人まで。中には就活中の学生もいるらしい。封筒のどこに宛名を書くか知らない人もいるらしい。

わたしにとって、少なくとも彼女にとっても「当たり前」のことだ。封筒の表と裏は聞くまでもないし、宛名を書く場所もわかる。自分の住所も普通は書く。それを知らない人もいる。

 

きっと、「定規の使い方を知らないひと」の存在も、同じなんだと思う。わたしにとっての当たり前が、誰かにとって当たり前とは限らない。それは価値観とか考え方の違いの話だけじゃなくて、生活レベルとかでも変わってくるものなんだろう。

 

わたしはカトリックの小学校に通っていた。朝の会と帰りの会、昼食の前後には必ずお祈りがあった。中庭にはマリア像があった。中高大は無宗教だったのだけれど、中学に入るまでは「お祈りをしない学校は、どうやって朝を始めて、どうやって帰りの会を閉めるのか」が想像もできなかった。小学校から制服だったので、「私服で学校に通う」感覚もわからなかった。

 

郵便局の話だって、手紙の出し方を知らない人が毎日来るということは、そういう人が一定数いるということだ。

 

わたしたちは気づかない。同じ生活水準、同じ知識レベルの人と接する機会の方が圧倒的に多いから。定規の使い方なんてイチイチ尋ねないし、手紙の出し方について議論することもない。1020円を2人で割り勘するときの暗算に秒もかからないことを確認し合うこともない。

 

自分と同じような生活水準の人たちと接しているから、他のレベルの人の存在に気づかずにいる。正確には「いるだろう」とは思っていても、具体的にそれがどういうことなのかわからない。

と言ってる今もよくわかっていない。自分の「当たり前」が当たり前じゃない人もたくさんいるのだ。当たり前だけど。

 

 

※「お金持ち」のお金持ちレベルも、わたしの認識と他の人の認識ではまた違うんだろう