解決策が見えてこない話
考えていること、思っていること、伝えたいこと。
言葉にして、伝えるのが下手くそだ。言いたいことがたくさんあっても言えない(口にできない)というのももちろんそうだし、言葉にしてもうまく伝わらないこともよくある。
さいきんは面接や面談で散々「説明が下手だね」「話すのがうまくないね」と言われるし、昔から発言はしないほうだ。
少し前に仲良かったひとにも一口ちょうだいと言っただけで「お前が自己主張するの珍しいね」と笑われたほど。
小さいころからクラスでも発言はしなかった。母にも「あんたは本当にしゃべらないね」と言われた。今日何があったとか何をしたとか、そういう小学校での話とかを母は聞きたかったのだと思う。怒られているときも反論もせず、黙っていることが多く、「何を考えてるの?何か言いたいことないの?」とよく言われた。
最近になって彼に「素直だね」と言われるようになったけれどそれは意識しているからで(まぁ意見を求められる場合とは言いたいことの種類が違うけれど)、以前彼は「嫉妬とかしても何も言わなさそうだね」とわたしに言った。「言いたいことがあったらなんでも言ってくれたらいいよ」とも。普段言いたいことの半分も言えないわたしのことをよくわかっているなぁと思う。
面談で話していても、「上辺っぽくて、本心が見えない」と言われたこともある。嘘をついているつもりはまったくないのだけど、とにかく伝えるのが下手なんだと思う。
それは昔から何かを伝える努力を怠ってきたからな気もするし、そもそもなぜ意見を言えないのかというところに帰結する気もする。なんで仲良いひとや家族にも何も言えないのか。
これ書いていてもなにも原因も解決策も見えてこないのだけれど。
話すのが下手だと言われすぎて、話し方の本とかは結構読むようにしてるのだけれど、そういう本はどちらかと言えばその場や人間関係を円滑にするためのテクニックや言い回しみたいなものが多くて、そもそも言いたいことが言えない場合とはまたちょっと違うことが多い。
もう少し感情表現がうまくなればいいなと思う。
あの選択が正解だったのかどうかなんて、今でもわからない
約1年半前。
わたしは大学を休学して、半年間をカナダのバンクーバーで過ごすことを決めた。
本当に行こうと決めて、契約して、後戻りできないところに立ったのは23歳、2016年の4月くらい。6回生の春。まわりの人が就活を始めた頃だった。
海外に住みたい、英語を話せるようになりたい、そう思って色々なエージェントを回ったのは5回生の9月、2015年のことだった。まだ親にも言えずにいて、自分でエージェントと話をして、一番最善なプランを考えていた。どううまくやっても休学はしなきゃいけない、卒業が遅れること、卒論をいつ出すか、出発はいつにするか、色んなことを考えた。うまくいくかどうか、とにかく大学の卒業がうまくいくか、それが不安だった。でもワクワクした。
自分で決めたものの、やっぱりやめたほうがいいかなぁと思うことも何度もあった。
周りはみんな就活中。4年で卒業した友人たちはすでに社会人として働いている。その中でわたしだけ7年も大学生をやって、休学して留学して、国試へのブランクもあく。
直前になって誰かに相談したくなった。ねぇどう思う?この選択って正しいのかな、わたしの人生ってこれでいいのかな。
でもできなかった。相談した誰かにとって、わたしの人生はしょせん「他人のもの」だから。どれだけ真剣に考えてくれたとしても、誰かが責任をとってくれるわけでもない。わたしの人生に本気で向き合えるのはわたしだけ。
だから、相談しなかった。行くことに決めた。
この留学を生かすも殺すも、正解にするも不正解にするも、結局わたし自身。
せっかく掴み取ったチャンスだから、精一杯努力しようと思う。わたしにできるのは、これを生かすように、正解になるように動くだけ。
そう思って決めたんだったなぁ。これが正解だったのかどうかなんて、まだわからない。でも行ってよかったと思うし、得たものも確かにある。
今できないことは一生できない、それくらいの気持ちで生きていたいなぁ。なんだってなんとかなる。それは自分だけの力じゃないけれど。周りへの感謝も忘れないようにしたいものです。
選択するのはいつも自分、だけどいつだってそれをどこかで支えてくれる人がいる。
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どうでもいい話 2017/7/16
優しさや思いやりは、想像力
相手の気持ちをどれだけ想像できるか
って、半年くらい前の日記に書いてた。もちろん自分が。
なんでそんなことを書き留めてたのか、今となっては思い出せないけれど、なんかハッとした。誰かのために何かをするなんていうのはちょっとおこがましいというか、自分のエゴのような気もする。
これをしたら、あの人は喜ぶだろうか。喜ぶ顔が見たいな。と思ったとして、結局相手の喜んだ顔を見て嬉しいのは自分なのである。じゃあ極論わたしのためじゃないか?とも考えられる。
疲れてたら自分勝手になりがちで、他人の優しさに気づけないこともある。だけど両親を始め友人とかいろんな人がわたしのことを考えてくれている瞬間が確かにあって、そのおかげでわたしは幸せに過ごせているのは間違いない。
そういう人たちのことをわたしも思いやれるように、どんなこと考えてるのかな、なにを求めてるのかな、っていうのをちゃんと想像できる人でいたいし、そのための余裕を失わないようにしたい。
ところで、面接とか面談に行くとよく「話すの苦手でしょ」「もう少し説明がうまくなったほうがいいね」「レスポンスが遅い」と言われる。
普段からそうか?といえばそんなことはなくて、どちらかというと早口で話すほうで、友人にはマシンガントークとも言われるほどだ。じゃあなんでうまく話せないんだろうっていう話なのだけど、緊張してるってわけでもなく、たぶん自分に自信がないからなんだろうなと思った。
「面接で聞かれることなんて全部自分の考えとかなんだし、間違いなんてないんだから、もっと堂々と話したらいいんだよ」と言われたこともある。だけどいつも答える瞬間に考えてしまう。好きなアプリとかおもしろいサービスとかについて語ってるときの話し方と表情がぜんぜん違うからいつもその話したほうがいいよ、と先日言われた。そのときはSpotifyとTinderの話をしていたのだけれど。
なんかこんなこと書いても仕方ないんだけど、うまくいってるほうじゃないから、「あーーーー」みたいになることもあるけど、でもまぁやるしかないので、やります。ああ。そんな感じ。
未来のことが不安になったら
未来のことが不安になったら、宇多田ヒカルの光を口ずさむ。
先読みのし過ぎなんて 意味のないことは止めて
今日は美味しいものを食べようよ
未来はずっと先だよ
僕にもわからない
先の心配なんてしすぎても仕方ないから、美味しいものを食べて、今を楽しもう。
今は今しかないから。
根拠もなく未来が今より良くなると信じられるのは、たぶんわたしが幸せだから。
美味しいものを食べよう。明日もきっと良い日になるよ。
焦ってもどうしようもないし、他人と比べたって仕方ない。大事なのは自分でしょ。
というわけで、最近の美味しそうなものたち。
落ち込んでる場合じゃない
「なんで薬学部にいったのに薬剤師にならないの?」ともう数えるのも疲れるほど何度も聞かれてきたんですけど、昨日話した人が「でも薬学部に行ったから今やりたいと思ってることを見つけられたんだもんね」って言ってくれて、まさかそんな言葉を自分以外の誰かが言ってくれる日がくるなんて思ってなかったから、とても嬉しかった。
嫌なことが色々あって、今まで選んできたこと全部間違ってたのかもしれないなんて思っちゃうときもあるけど(まさに今)もう後悔したって仕方ないし、間違ってたとして今後どうするかを考えるしかないので、がんばる。じぶんで、正解にしなきゃ。
信じようと思って信じている場合は、何かしら疑わしい要素があるから「信じる」って決断をしてると思うんですけど、普通はそんなのないじゃないですか。疑う理由なんてないんだもん。まさか企業からの選考通過のメールが間違いである可能性なんて考えないじゃないですか。だから「こないだのメールは間違いで、やっぱり貴意には沿えません」なんてメールがきたらいったい世の中の何を信じて良いのかわかんなくなっちゃう。同じようにもしどこから内定もらっても「やっぱ間違いでしたサーセン」って言われる可能性があるってことでしょ。そんな誠実じゃないところには就職したくないから気づけて良かったのかもしれないけどさ。
なんか占いにでも行きたい気分だわ。
でも疑うことから入る人間にはなりたくないし、疑って誰かを傷つけるくらいなら信じて自分が傷つくほうを選べる人間でいたいな…とか思う。ねむい。
今日で1周年だそうです
なんと本日でこのブログが1周年だそうです。わたしがぼちぼちと書き続けている間に、300人を超える読者さまがついてくださって、ありがたいことです。
去年の7月なんて月に50記事以上かいていたのに、こないだの5月なんかは1ヶ月で9記事しか書いてない。すごい落差だ。
それでも見てくれたり、コメントくれたりする方がいるから続けてこれたと思います。別に誰の特にもならない話しか書いていませんけれど、クスッとしてもらえたり、なにか心に少しでも引っかかることがあれば良いなと思う。
ブログを1年続けることはひとつの目標だったので、とりあえず良かった。感謝を述べる以外に良いアイデアも浮かばないので、なんの面白みもないですけれど。
よく読まれている記事は相変わらずストリップバーの話です。読まれている、というか検索流入が多いというか。そんなにみんなストリップバー行きたいのかな。バンクーバーの事情しかわからないけれど、ものは経験ですよ。行きたいなら行くべき!
今後もぼちぼち続けられたら良いなと思います。みなさまいつもありがとうございます!
大人になったなと思うとき
コーチングのタイプ診断という、人を4つのタイプに分類する手法がある。プロモーター、アナライザー、コントローラー、サポーターの4つだ。
説明会に行ったらその場で簡単な診断をさせられて、わたしはプロモーターだった。そのプロモーターというのが「アイディアが豊富で、他者と協働して物事を進めることが得意。新しいことを始めることや、変化には強いのですが、計画的に物事を進めたり、見直して修正を重ねたりすることは苦手。直感で生きていて話題がコロコロ変わる」というような特徴で、なんだこれわたしじゃんという話だ。
新しいことが好きなのも計画性がないのも当てはまってるし、話題もよく変わる。長所を聞かれたら「行動力がある反面、計画性がない」と答えるのはわたしである。
今日は「行動するときってリスクとか考えてなかなか動けないものですけど、なんで行動できちゃうんでしょうね?」と聞かれたので「失敗してもうまく行かなくてもそれから得られるものがあれば意味があるなと思えるので」と答えた。あと、「今できないことは一生できないな」と思うのでその場でやってしまうというのもある。
そうしたら「いい意味で楽観的なんですね。すごくいいと思います」と言われた。本当に良いと思ってるかどうかは定かではないけども、楽観的なのは間違いない。
「いつもは誰かと一緒に行動するか、一人で一匹狼的に行動するかどちらが多いですか」と言われたので、「協調性がないってことはないと思うんですけど」と言い訳しつつ「普段はひとりなことが多いです」と答えた(本当は協調性はあまりない)。「ですよね。行動力があって直感で生きてるって、普段は一人で行動してそうだと思いました」と言われた。すぐバレる。
面接とかがあると、一応自分なりに色々考えて準備しているつもりなのだけど、やっぱり準備不足なことも多いし(なにせ周到に準備するのは苦手である)、予想していない質問をされることも多い。でも予想通りの質問ばっかりっておもしろくないのでそれが好きだけど。
そうやって対話していく中で色んな気付きがあるし、その場で思いつかなくても後で思いつくことも色々ある。
わたしは別に就活がそんなに辛くないんですけど(内定もまだないのにね)、それは色んな人に会って色んな気付きを得たり話を聞けたりするのが楽しいからかもしれない。それに今まで落ちたところは今になって冷静に考えると「別にいきたくないな」ってところなので。
楽観的なので「絶対自分に合うところに巡り会えるはず」と思ってるからってのもあるだろうし、それを見つけるのが就活だとも思うから、落ちたところは自分に合ってないとか縁がなかっただけ。だろう。たぶん。(そう思ってないとやってらんないでしょ)
大人になったなと思うのは自分を取り巻く色んなことを都合よく解釈したり、やりすごすスキルが身についたなって感じるときだ。いちいち落ち込んで自分を責めていたら身が保たないので、適度に反省しつつ次に活かそうと思って過ごすのがラクです。結局自分に必要なものはうまく自分に寄ってくるし、必要ないとか縁がないものは去っていくものだから、去るものは追わずに手放せるようになるのがいいんじゃないかなあ。
ま、そう簡単にいくことばかりじゃないけど、なんでも楽しみつつ、うまくゴキゲンに生きていきたいものですね☺