Chikanism

現実と非現実のあいだ

赤いマフラーとドーナツ

地元の最寄り駅に寂れたショッピングモールがあって、最寄り駅なので(とはいえ家からはバスがないとたどり着けない)中学生の頃からよく通っていた。何階のどこにどんな店があるかは隅々まで把握していた。

大学生になって原チャに乗るようになってほぼ使わなくなったのだけど、大学生活の後半は原チャを辞めたのでまたほぼよく使うようになった。そこにはミスドフレッシュネスバーガーサンマルクとイタリアントマトが入っていて、国試の勉強をしていたころは、たまにそこを使っていた。

 

基本的には大学の図書館で勉強していたのだけど、飽きたり、お腹が空いたり、休館日だったりした日にはそこへ行って、長居できるカフェをハシゴしていた。特によくミスドに行った。カフェオレが美味しくて、おかわりできるのだ。

1月くらいになると、医療系の資格試験が立て続けにあることもあって、隣でよく看護学生が勉強しているのを見た。わたしは地元に大学の友だちがいない上にみんな既に卒業していて毎日ひとりだったから、カフェはちょうどよかった。

なにが良かったかというと、一人のようで一人じゃないところだ。家で勉強していると、家族のような気を許している相手には素っ気ない対応をしてしまうし、かといって一人きりだと気が滅入るのだ。干渉しあわない他人がそこにいることは、ある意味安心感があった。たまに小さい子どもがいて、走り回っているのも癒やしだった。

 

ちょうど12月〜1月くらいだった。よくミスドに行った。ミスドでは洋楽がBGMとして流れていて、それが心地よかった。カフェで流れる音楽はちょうど良い。自分で音楽を流すと近くて集中できないけど、カフェくらいの遠さだと勉強の邪魔にならない。

 

当時よく流れていたのがサム・スミスのThe Good At Goodbyesだ。他にはチャーリー・プースのHow Longとか。だからあのときよく聴いた曲を聴くと思い出す。重たい教科書を抱えて図書館やカフェに通った日々。毎日ひとりで、もう辞めたいと思う日も山のようにあった。夜寝られないのが怖くて毎日睡眠薬を飲んでいた。毎日食べていた朝ごはんも、お皿を洗うめんどくささに勝てなくて食べられなくなった。

iPhoneにカウントダウンアプリを入れて、国試までの日数をカウントしてたけど、全然日数が減らないので絶望的な気持ちになった。その逆に受かるかどうか心配で、近づいてくるのも怖かった。でも早く終わってほしい、そんな気持ちに埋もれていた。

 

チャーリー・プースの曲を口ずさむ。今でもあのミスドで流れていた曲を聴くと思い出す。いろんな気持ちを抱えて甘ったるいドーナツを食べてたあの頃。冬だから寒くて、温かいカフェオレは美味しかったはずだけど、あのときは味なんてよくわからなかった。

もうあの寂れたミスドに行く日なんて来ないだろう。辛かった思い出もそこに置いてきた、ような気がする。