Chikanism

現実と非現実のあいだ

本当にいつも詰めが甘くて後悔する

結構しんどい一週間だった。

わかってたのにまた自分の詰めの甘さを後悔して、情けなさや不甲斐なさで久々に泣けた。例えば10個つくったうちの1個に不備があったら、全部見てくれている上司はたまに不備もあるから気をつけなさいって言ってくれるんだろうけど、不備だけを見たボスは(しかもそれへの苦情を受けたから)当然他の9個に対しても不備があると思うだろう。

わたしのスーパーバイザーは無口だけどとても良いひとで、温厚で優しいしよくわたしのことを気にかけてくれる。だけど今回のことで監督不行き届きだってボスに色々言われたり(知らないけど)迷惑をかけてしまっただろうと思うと余計に情けないし申し訳ない。これは難しい話で、わたしはインターンの実習生として無償(ボランティア)で働く代わりに、会社側にはわたしをトレーニングする義務もあるので、多少は手間取らせたり迷惑をかけたりすることも仕方ない。でもやっぱり遠慮してしまうし、手間取らせたくないと思ってしまったりする。

言葉の問題とか期間の問題とかでコアな部分に関われていないのがわたしの当事者意識の薄さにも繋がっているのだけれど、いわば「外注」されているような感じなのだ。コンセプトとかセールスポイントとか原材料とかを何も知らされずにチョコのラッピング作業だけを頼まれている感じ。たまにポップ書いて、って言われるみたいな。

 

 

それでコンセプト考えたり原材料を調達したりしているひとを見てすごいなぁなんて思って、それに比べてわたしは何をしてるんだ、って。ラッピングでさえまともにできない。

 

本当に詰めが甘い!!何回後悔したら気が済むんだ。

っていうのを頭で何回もやりながら、周りの色んな人達がすごく見えて、羨ましくて、もっと頑張らなきゃ、と思うのに対して頑張れない、の繰り返し。な最近でしんどかった。うまくいかないことは続くし、踏んだり蹴ったり。明日は気分を入れ替えて、と思ってもその次の日もまたうまくいかなくて、みたいな。

でもわかってくれるひとも気にかけてくれるひともいて、もうちょっと周りを頼ってもいいのかなぁとか頑張ろうとか思った。

 

 

あとエレベーターで知らない人がHava a good nightって言ってくれたり街で知らない人が笑顔向けてくれたりそういう文化は素敵だし好きなのだけど、気づいたら電話番号を聞かれたりカフェに誘われてることがあって、別に電話番号を教えたりその場でカフェに行ったりしたからってそれがすぐに犯罪とかに繋がるわけじゃないのはわかってるけど嫌だなぁとは思う。でもそれがミートアップで知り合ったひとと連絡先を交換するのと何が違うんだと言われたら難しい。