Chikanism

現実と非現実のあいだ

おじいちゃんが死んだ

数日前に仕事をしていたら母からLINEがきて、内容は「おじいちゃんの心臓がとまった、今は心臓マッサージとかをしてもらっている」という衝撃的な内容だった。

 

おじいちゃんはもう4年ほど前に腎盂腎炎で入院中に脳梗塞を起こして意識不明の重体。もういつ死んでもおかしくないとまで言われてから復活し、そこから3年半くらい、施設で暮らしていた。

奇跡的に体調は回復して、食べれるし喋れるし元気だったけど、認知機能は落ちて、私のことも覚えていないし、一人でできることはほとんどなかった。それでも会いに行けば少し喋って、笑っていた。

 

「今すぐ帰ろうか」と聞いたけど、母は「延命しないからもう間に合わないし、すぐじゃなくてもいいよ」言ったので、とりあえずその日の最終の新幹線で帰ることにした。

母からおじいちゃんの心臓が完全に止まった(亡くなった)と連絡がきて、母は涙声だったけど、私は冷静で、すぐに喪服を買いに行った。家から2分のところにHARUYAMAがあった。長く着られるやつがいいですよね、と34,000円払った。

 

おじいちゃんはなんでもできたけど、料理と字を書くことだけは下手だった。私はたまに代筆をしてあげた。

私が小さい頃はよく一緒にゴルフ場に散歩に行った。旅行にもよく連れて行ってもらった。釣りの道具を手作りしていて、その工具を使って一緒に凧をつくって、お正月に凧揚げをした。

おじいちゃんは外科医だったけど、開業していわゆる町のお医者さんをしていた。昔から病気になったら全部おじいちゃんが見てくれていた。予防注射もしてもらったし、足の裏にタコができたときも治療してもらった。太ももにイボができたときは簡単な手術をしてもらった。とっくに手術を引退していたおじいちゃんの、最後の手術は私のイボ除去だ。

代わりにパソコン関連のことは全部私がやってあげた。Wi-Fiの設定も、プリンターの設定もしたし、おじいちゃんが好きな囲碁のゲームの設定もした。年賀状の印刷とか、デジカメで撮った写真の整理とか。私がiPhone6に機種変更するときは、それまで使っていた5をおじいちゃんにあげた。それからはiPhoneの使い方も教えてあげて、たまにメールやLINEをくれた。何度教えてもわからなくなるけど。

 

私が学費の高い学校に通いたいと言ったのも、薬学部に進学するのも、全部応援してくれた。

 

 

深夜の京都、嵯峨野線で、おじいちゃんが安置されている斎場に行った。お父さんとお母さんと、叔母さんとその旦那さんがいた。

お母さんに促されておじいちゃんの顔を見た。寝ているような感じだった。死ぬ2時間前までお母さんとおばあちゃんとしゃべっていたそうだ。お見舞いに行ったお母さんとおばあちゃんが帰ろうとしたら、急に具合が悪くなって、そのまま亡くなったらしい。

お母さんとおばあちゃんが看取れたこと、あまり苦しまずに済んだことが救いだ。

 

その日は夜中の1時過ぎに斎場を出た。

翌朝は葬儀屋さんから、近所の葬儀場に遺体を移動させたと連絡をもらってから葬儀場に移動した。

みんなでお線香を絶やさないように焚いた。夕方になると従兄弟やおじいちゃんの兄弟やおばあちゃんの兄弟が来て、お通夜をした。

物心ついてから親族のお通夜は初めてだったので、本当に一晩そばにいるなんて知らなかった。久々に集まった親族とお寿司を食べて、思い出話なんかをした。

お通夜の最中、お寺さんがお経をあげてくれているのを聞きながら、おじいちゃんと過ごした日々を思い出したらめっちゃ泣けた。

結局葬儀場に泊まるのは叔母さんと従兄弟に任せて、夜中の3時ころに家に帰って家族で少し仮眠して、翌朝はまた葬儀場に行った。

 

お通夜のときより少し多い人数が告別式に集まってくれた。各々が送ってくれたお花が運びこまれて、お葬式の準備が整っていく。

親戚になるというか、家族になるってすごいことだなぁと考えていた。結婚するときって、したことないからわかんないけど、割と気軽にできる気がする。籍入れるだけ、なんてみんな言うし。でも、籍を入れて家族になることって、死んだときの諸々の手配とか、いろんな責任を担うことなんだなってお父さんを見ながら思った。

告別式でお経をあげてもらっている間、まためっちゃ泣いた。おじいちゃんのことを色々考えた。小さい頃からずっとかわいがってもらっていたこととか。私にとってはおじいちゃんだけど、お母さんにとってはお父さんだ。おじいちゃんの人生は楽しかったかなあ。

そして片隅で、お父さんが死んだらどうしようってずっと考えていた。悲しいどころじゃない。絶対死なないでほしいなんて、ムリなことを思った。

 

お葬式・告別式にほとんど行ったことがないから他の葬儀場はどうかわからないけど、告別式の最後に、おじいちゃんとみんなの思い出の写真(私たちが探して葬儀屋さんに預けた)のムービーを流してくれた。

それを見たら余計に泣けた。親戚一同で集まっている写真や、おじいちゃんおばあちゃんが結婚したばかりの時の写真とか、おじいちゃんが診療所で白衣を着てる写真とか、小さい頃の私と妹とおじいちゃんの写真とか。

 

それで最後に、みんなで棺の中にお花を入れた。みんなボロボロ泣いてた。おじいちゃんはお花が好きでよく育ててたから、喜んでると思う。おじさんが買ってきてくれたおまんじゅうも入れた。甘いものが大好きだったから、これも喜んでるはず。

ハンカチで拭いきれないほど涙が出たけど、おじいちゃんの91年を思うと足りないと思った。置いていかないでよ、と思ったけど、91年も行きたらこの世にも疲れちゃったかもしれないな。

 

寂しいし、それだけじゃないけど、でも、天国があるなら天国で足りなかったぶんの人生を満喫してほしい。たぶん冬は暖かい部屋で囲碁をして、あったかくなったらゴルフに出かけて、夏になったら鮎釣りに行って真っ黒になっているはず。

お医者さんには飽きちゃったかな。天国では病気の人はいないと思うから、仕事は永久にお休みかな。

 

 

実家にキウイの木があって、それは私が生まれた年におじいちゃんが植えたものだ。今年もお母さんたちが収穫して送ってくれて、ちょうどおじいちゃんが死んだ日に東京の家に届いた。

食べごろはまだだ。早く熟れないかなあ。