Chikanism

現実と非現実のあいだ

卑屈な話

私はとてつもなく卑屈なので、他人が羨ましい。おとなになっても、羨ましいと思うことが山のようにある。

 

私は中学生の頃、ちょっといじめられていました。何回も書いたかも。

それはただのスタートで、そこから高校卒業までずっと(中高大一貫なのもあり)、スクールカーストの一番下にいた。仲の良い子は何人もいたけど、彼女たちはスクールカーストの下だとは思っていなかったかもしれない。みんな個性的で、自分にまっすぐで、でも世間から見たら「ちょっとズレてる」「変わった」子たちだったように思う。

スクールカーストの一番下っていうのは、格差を感じる。成績がどんなに良くても、存在自体は軽んじられているような感じ。いてもいなくても変わらないし、なんならいないほうがいい。学園祭のクラスの出し物で劇をしたら、私は通行人A。裏方を任せるほどでもないから、というか任せられないから、それだったらどうでもいい役で出てほしい、みたいな。いなかったらいなかったでいい。

私は空気を読ん(だつもり)で、おとなしくしていたし、何も言わなかった。いないほうがいい場面にはいないようにしたし、合唱コンクールはみんなの成果を台無しにしないようにほとんど口パク。テニスの授業では最後までペアを組めなくて、優しそうな人に混ぜてもらって、そのたびに申し訳ない気持ちになった。

最後の寄せ書きにはみんな私のことを「勉強できる」「字が綺麗」くらいしか書かない。どうもありがとう。

 

卒業は開放だった。ずっと教室にいなくてもいいし、違うコミュニティに入れるし、濃度が薄まるから新しくスタートできる。過去の私を知ってる人も少ない。

 

高校を卒業して、大学を卒業した今、社会人にはスクールカーストはない。スクールじゃないから。出ようと思えばいつでも抜け出せるコミュニティしかない。嫌な人とムリに一緒にいなくてもいい。

もちろん社会に出ても、私のことをカーストが下の人間だと思う人もいるだろうけど、わからない。そういう人とは関わらずに済む。

 

今は快適に過ごせているけど、たまにどうしようもなく、他人が羨ましくなることがある。

スクールカーストの上層部にいた人は、スクールカーストの存在を知らないのだ。「え?そんなのなかったよ」と、心からそう思って言うのだ。

私は羨ましくなる。スクールカーストを知らない人を、自分が下だと思ったことがない人を。そんな人生を歩みたかった、と思う。私は知ってしまっているから、二度とそっちの人間にはなれない。

 

そういうことなんだろうなと思う。いつも外から見ている。