Chikanism

現実と非現実のあいだ

自分で選べるということ

小学校のお受験に始まり、中学受験、大学進学(中高大一貫だったけどほんとは行きたくなくてゴネてた)、学部選択まですべてが私の意志ではなかった。

親の選択で、それ以外は選べなかった。

大学でなく専門学校に行きたいと言った私の希望は却下され、結果として薬学部に進学した。

それは親の意志だったにも関わらず、大学の愚痴をこぼすと「学費を払ってやってるのに。そんなに嫌なら大学辞めれば?」などと言われるのだった。

その度に私は産んでくれとも頼んでないし学費の高い私立に通わせてくれなんて一度も言ったことがないのに、学費を盾に子供を脅すなんて卑怯だと内心思ってきた。言わなかったけど。

 

そんななか、6年生の時に留学した。これは私の意志だった。猛烈に行きたいと思い、親に頼み込んだ。

(これは費用をすべて出してもらったので本当に感謝している)

 

そして、就職。免許を使わずに一般企業に就職したのは私の意志だった。親の期待通りではなかっただろうけど、親はもう何も言わなかった。

そして2回転職をして、引っ越しをした。これも全て自分で選び、決めた。

 

自分で選ぶことは大変だ。たくさんの選択肢の中から吟味して意思決定をしなければならない。

でも自分の人生を自分で選べることは、紛れもなく幸せである。どう転んでも自分の責任なのだ。他人のせいにはできない。

 

自己責任のもとの自由。苦しみもあるけど楽しみも大きい。

なんでも自分で決められるのは、一人暮らしで独身という状況もあるだろう。とてつもない幸せと楽しさを噛み締めている。

 

なんだって自分で決められるのだ。決めないのも自分だ。

「好きなもの」は突き詰めない

「好き」は突き詰めない方がいい。なくなっていくから。

 

私は好きな食べ物を買いだめするタイプだ。でも、食べ続けるうちに飽きて嫌になってしまう。

ココナッツポッキー、グラノーラ、チョコレート。

美味しいと思って同じものばかり食べていると、反動でもう2度といらないという気持ちになる。

 

学生の頃、分子生物学に興味を持った。研究室はそれに近い分野を選んだが、深く知ると(研究すると)難しくて嫌になった。

知りすぎると、嫌な面を知ってしまうのだ。(浅い)

 

化粧品が好きだった。

メイクさんになりたいと思っていたほどだ。結局、専門学校には行けなかったので、製薬メーカーで化粧品を作れたらいいと思い薬学部に進学した。

回り回って美容系の会社に就職したが、別にそこまで化粧品が好きではないことに気づいた。

情報収集も人並みだし、たくさんのコスメを買い集めたいとも思わない。コスメコンシェルジュの資格もとったが、とってみてわかったことは「そんなに興味がない」ということだった。

 

私が好きなのは「化粧品を使って自分を良くすること」であり、化粧品自体にはそこまで興味がない。

成分にも特にこだわりもないし、調べたりもしない。

 

こうやって好きだと思うことを突き詰めていくと、だいたいの場合「そこまで好きでもない」という事実に気づく。

それは周りに「その対象のことがもっと好きな人」がいるからでもある。好きには勝てないのだ。

 

好きなものは突き詰めるものではない。

少し距離をとって楽しむ程度が一番良いのである。私には。

一人暮らしは最高だった

初めて親元を離れたのは大学6年のとき。

祖父が入院し、祖母が一人暮らしになったのでサポートするために祖母宅に住みはじめた。

とは言っても実家からは車で5分ほどの場所だった。それでも格段に交通の番は良くなった。マンションから歩いて数分でバス停があるのだった。

 

私は祖母と暮らしていたけど、研究やバイトで遅く帰ると祖母は先に寝ていることが多かったので、半分一人暮らしだった。

帰ってきたらメールしてね、は祖母の口癖だった。

 

その後私は半年間カナダに住んだ。

そこでは最初はホームステイをして、その後ルームシェアにうつった。

ホームステイではみんな成人しているので基本は自由だが、ご飯は作ってくれる。門限はないがシャワーを浴びる時間に制限があった。

 

その次のルームシェアでは完全に自由だった。何時に帰ってもいいし、シャワーも自由。

ご飯の準備はないし、一緒に過ごす時間もない。ここで私は、初めて本当の自由みたいなものを手に入れたのだった。

いつ誰とどこに行くのか、何時に帰るのか、夕飯はいるのか。それを報告する必要もないし相手もいない。

 

大学6年まで実家にいた私は、それまではずっとその窮屈さを感じていた。

駅から家が遠かったため送り迎えが必須だったので、必然的に毎日帰る時間に連絡しなければならなかった。送り迎えをしてもらっているという後ろめたさのようなものもあった。恩を着せられているような。

出かけると言えばどこに行くか誰と会うのか聞かれる。グループ旅行では本当に部屋は女子だけなのかの写メを送らされ、彼氏と旅行に行こうとすれば大学を辞めさせられそうになった。

 

そんな生活だった私には、完全に1人で自由なカナダ生活は、とてつもない解放感に溢れていた。

誰も私を待ってない。帰る時間を報告する相手もいない。とはいえ遊ぶ相手もあまりいなかった。

それは自由で、気ままで、寂しくもあった。

 

 

そして東京にきて早5年。

いまだに関西弁をゴリゴリ話す私も、一人暮らしに完全に慣れてしまった。開放感も特にない。

でもこれが当たり前。

自分で朝起きて、毎日食べたいものを作って、好きなことに時間を費やす。食べなくたっていいし、寝ててもいいし、ぼーっとしてても誰にも何も言われない。

 

そんな日々って、最高やん。やっぱり。

また誰かと住む日がくるかもしれないけど、とりあえず気ままな一人暮らしは最高。

苦手なこと

私は大勢の人がいる場所や賑やかな場所が苦手だ。

社会人1-2年目まではそうでもないと思っていたけど、会社の飲み会に行くと何も話せず、どの場所に座っても私は盛り上がらず黙って時間を過ごしていた。

5人くらいまでなら楽しくいられる。それが大勢になると無理なのだ。

 

昔からよく喋る方でもなく、人付き合いもよくなく、テンションも低め。

家族にも全然喋らないねと言われてきた。マッチングアプリで知り合った人にも「無口だね」「あんまり質問しないね」と言われ、あまりに喋らないことで彼氏を不安にさせたりもした。

仕事で司会をやると「テンションが低い」とフィードバックがくる。インスタライブをやっていたこともあったが、「いつもと同じテンションすぎて笑った」と同僚にコメントされた。

繕ってテンション高く振る舞うことも苦手なのだ。仕事であれば本来はやらないといけないので、これは怠慢だが…。

 

コロナ禍で飲み会もなくなり、そこでようやく気づいた。

大勢の飲み会が好きじゃない!!

人と話すのが嫌いなわけではないし、割と交流も広めたいと思ってきたので、社会人1-2年目の頃はよく飲み会や交流会にも行っていた。

行くだけで、なかなか仲良くなることも盛り上がることもなかったけど。

 

でも行かなくなると不思議なもので、行きたいとも思わなくなった。

かなり気心の知れた相手ならともかく、そうでなかったら5人以上の人と盛り上がらなければならない場所には行きたくない。

新しい人と知り合うのは労力がかかりすぎる。

 

副業で企画していたイベントに賑やかそうな人がたくさん参加されるのを知り、行きたくないなぁと思ってしまった私。

でも行くしかないので、端っこで黙っていようと思います。

いつも正解があると思ってた

最近たまに思い出すのは、留学してたときのこと。

 

当時の私は英語が少し得意なくらいのレベルで、直接ビジネスカレッジに入学。

日本人の友達は語学学校を経て入学してる子も多かった。

なのでスタート地点で英語力にかなりの差があった。

 

先生が言うことを聞き取るので精一杯で、咄嗟に話しかけられても簡単なひとこと二言しか返せない。

回答が合ってるか自信がないから、指名されるのが嫌で仕方なかった。

消え入るような声で答える私に、先生は「誰か死んだのか?」とジョークを言った。私は情けなくて笑うこともできなかった。

 

プレゼンの授業では、自分の発表がテーマに沿っているのか悩み、先生に相談した。

「なんでもいいんだよ。そして、どうして今更そんなことで悩んでるの」と言われた。

 

間違うことを過剰に恐れていた私。

いつも何にでも正解があると思っていた。それが出せない自分がダメだとも思っていた。

 

どんな場面でも正解かどうかが不安でおどおどしていた。胸を張って答えられることがなかった。

友人や先生に励まされても、インターンの面接は2回落ち、面接なしで受け入れてもらえるところで働いた。

 

今思えば、かなりストレスフルでストレッチな状況だった。でもだからこそ頑張るしかなかった。

辛くてもやるしかない。正解がわからないけどやってみるしかない。

 

そんな状況って意外とない。

卒業して、就職してからそこまでの環境はなかった。ものすごく頑張らないといけない状況もなかった。

それなりに色々つらいことも大変なこともあったけど、あの時より辛かったことってなかったな。

(また違った意味で国試が辛すぎて、かき消されてた)

 

あれくらいのストレッチな環境に飛び込んでみたい、そんな気持ちになっている。

睡眠薬がなくても寝られる私

一年半くらい付き合っていた睡眠薬を、最近辞められた。

一番多い時で2錠飲んでいたが、1錠、0.5錠、0.25錠と減らしていってついに0になった。

何も飲まなくても寝られたことは、私にとってはかなり驚きで、嬉しいことだった。

 

 

初めて睡眠薬を飲んだのは国家試験の1ヶ月ほど前。

もともと不眠がちな私は、国家試験の前日に寝られなかったら試験中に眠くなってしまうかもしれないという恐怖から精神科をたずねた。

医師は理解してくれ、1ヶ月分の睡眠薬を出してくれた。そのとき、寝ようとしてからすぐに眠りにつけることに感動したのだった。

いつも寝付くまでにかなりの時間がかかっていたから。

 

 

そして時は流れ、私はまた寝られなくなった。コロナで在宅メインになったこともあったし、当時の彼氏との関係性が不安定でメンタルも不安定で、毎晩泣いているような日々だった。

そのままでは寝られないので、睡眠薬を飲んで悲しくなる前に眠りについていた。

別れる前の2ヶ月くらいは、2錠ないと寝られなかった。

 

 

その彼氏とは別れ、つらい日も過ぎ、私にも平穏な日々が訪れた。

減薬は、涼しくなった秋から始めた。

しばらくすると、自分で調整していいようだったので、タイミングを見て自分で減らしていった。

失敗することはなく、順調に減っていった。

 

最後の0.25錠を飲み終えた日。

明日からは睡眠薬なしで本当に寝られるのか、不安だった。

薬を飲まずにベッドに入った日は、寝られなかったらどうしようかと不安で仕方なかった。でもなんとか寝れた。

次の日は本当に嬉しい気持ちだった。

 

もちろん生活習慣を整えたり、最近は出社したりすることが増えたというのもあるだろうけど、精神的な安定がこんなにも睡眠に影響を与えることにも驚いた。

やっぱり入眠はすぐにとはいかない。

薬を飲んでた時のように、一瞬で眠りに落ちる快感はない。でも、自分で寝られる。

 

つらいときは薬に頼るのは悪いことじゃない。むしろうまく薬は使うべきだと思う。

だけどやっぱり薬なしで過ごせることは、自分が強くなったような気がしたのだった。

不安定な日々から抜け出せてよかったね、私。

最近のこと

ほぼ2年ぶりのブログだ。

 

この2年で、前回のブログを書いた時に付き合っていた人とは別れ、引っ越しをし、転職もして、新しい彼氏ができた。そしてコナンにハマっている。

元彼はひどい人で、なんで好きだったのか今となってはよくわからないけど、本当に好きだった。

旅行の当日に「明日は仕事をするから12時頃には帰る」と言ってくるような人だった。

そんな彼に会いたい一心で、彼の家の最寄りの路線沿いの家に引っ越しを決めたけど、引っ越す前に別れた。

 

仕事ではある程度の結果が出て、これ以上ここで得られるものはないだろうと思って辞めた。

転職先を伝えると、上司は「もし広告代理店に行くって言われたら全力で止めるつもりだったよ」と言って、ほぼ引き止めもしなかった。

新しい職場は以前と違い、メンバー同士の確執や圧力がなく、オープンでフラットで良い職場だ。

全く違う職種につき、やったことないことを任せてもらえる。やったことないことをやったけど、評価してもらえて昇給もした。

 

 

新しい彼氏は歴代1位というのも申し訳ないほど良い人で、こんなに良い人が世の中にいたのかと思うほど優しい。29年生きてきて初めて、彼氏という存在に誕生日プレゼントをもらった。逆に今までどんな男と付き合ってきたんだって呆れちゃうよね。

こんな人に出会わせてくれてありがとうと本気で思う。付き合った当初は恋人として好きになれるか不安で、あまり上手く話せなかったことも思い返せば懐かしい。

 

 

去年のGWに地元の友達とLINE通話したのがきっかけでコナンのアニメを見返すようになり、最近の楽しみはもはやコナンであるほどハマった。

毎週録画をし、ハロウィンの花嫁を観るために映画館に3回も足を運んだ。余裕のある平日はfuluで過去の映画を観る。その度に思い出すのは、小さい頃母と見に行った「14番目の標的」。

あの頃はまだ映画を何回も見れた。映画館に着くと、クライマックスのシーンだったのでこっそり覗き見したのを今でも覚えている。

 

 

なぜ久々にブログを書いているかというと、悩んでいることがあるから。

1ヶ月ほど前、大学時代の友人とLINE通話した。学生時代の友人はほとんど関西に住んでいるので、直接会うことはあまりない。

彼女は2年前、まだコロナが流行る直前に結婚式を挙げた。そのことはブログにも書いたが、相手は職場の人で、タバコを吸うしパチンコをするし髭を生やしていて、とても彼女の好みとは思えなかった。

でも彼女は、「それでも好きだと思えるから、本当に好きなのかも」と言った。それがやけに記憶に残っていた。

その彼女が、LINE通話で言ったのだ。「子どもがほしくて、持病で自然妊娠は望めないから、今度体外受精をするの。採卵は全身麻酔なんだって」と。

 

その時から私のカウントダウンが始まった気がした。慌てて不妊治療について調べた。30歳で始めれば、子どもを授かれる可能性は高い。

後になればなるほど、可能性は下がっていく。

 

私は子どもを持ちたいと思っていない。少なくとも今は。

もしかしたらパートナーは欲しいと言うかも。そしたら心変わりするかも。自分の気持ちだって変わるかも。

でも、もしそれが10年後だったら。どうしても欲しいと思っても、授かれない可能性が高くなる。そうしたら、今の私が「欲しくない」と先延ばしにしたことを後悔しないだろうか。

 

子を産み育てることは、もちろんまだ経験したことがない。周りの人が出産を経験し始めて、それで様子を知る。

大変そうで、つらそうで、出産なんて耐えられる気がしない。それでも幸せそうでもある。

 

子どもができたら、私は私の人生の主役じゃなくなってしまう気がした。大事にしたい存在があることはきっと幸せだけど、それって両立できるのかな。

まだ欲しいとは思えないのだ。将来欲しくなるかどうかもわからない。

私はずっとピルを飲んでいるし、自然に妊娠することはない。意志を持って、子どもを授かるためにピルをやめなければならない。その決断ができる日がくるだろうか?

 

正しい選択なんてないのだろうけど、時間は過ぎていく。しっかり考えて決めないと、後悔するかもしれない。そう思うと不安で、先の見えない毎日なのに、答えを急かされているようで焦る。

 

それが最近の悩み。

体験談を読んだり調べたりしている。