Chikanism

現実と非現実のあいだ

ゴールを追いかけたい

どうでもいいことですが、はてなのプロを辞めました。独自ドメインはそれなりに気に入っていたけど、だからってSEO対策をしているわけでもなく、さらに言えば特に検索流入が期待されるような記事も書いてない。

なので一応アドセンスを入れててもほぼ収入はなく、期待もしてなかったし、それだったらはてなブログドメインでも十分かなあと。

そしたら毎日20以上はあったアクセスが10分の1くらいになってたので、ドメインの力はすごかったんですね。気が向いたらまたプロにします。

 

 

大学生のときから常に時間がなく、タスクに追われ続ける日々を送ってきた私は、「やらないといけない」ことがない時間がとても苦手だ。何をしたらいいかわからないし、怠けているような感覚になるし、どうやって時間を過ごせばいいのか、答えが見つけられず、途方に暮れる。

 

大学の頃、学園祭実行委員をしていた。薬学部だったので1〜3年の頃は1〜5限までずっと授業があることも珍しくなく、週に1〜2個は実験レポートを書いていた。定期テストは10個くらいあり、1科目に割ける時間が少なすぎてひいひい言いながら過ごした。その合間で、というか授業後に、ほぼ毎日22時まで大学に残り、学園祭の企画書を作ったり、制作物をを作ったり、決算をしたり。土日も大半は学園祭の諸々で、余った時間で習い事の書道をしたり、1ヶ月に数千円しか稼げないバイトをしていた。

毎日がめまぐるしく、駆け抜けるように過ぎていて、親にも「家に寝に帰ってくるようなもんだね」と嫌味を言われるような日々だった。

学園祭が終われば終わったで、次は薬学部の実習に行くための試験があり、それの勉強ばかりしていた。その後は実習があり、実習がなければ研究室に通い詰め、(留学とバイトと就活を挟み)国家試験の勉強をした。

国家試験の勉強には休みもなかったので、土日は図書館が早くしまって勉強しづらいだけの迷惑な日だった。土日にやることがない、なんていうのは社会人になって初めて経験したことだった。

 

余暇を楽しむという習慣がなかったので、今もまだ、休みをどう過ごしたら良いかわからない。学生時代の数少ない休みは友達や彼氏や家族と遊ぶ予定を入れたらほぼなくなっていたので、そういう予定を入れてもまだ余りある今は、その余りをどう使っていいかわからない。

 

社会人になってはじめの頃、先輩が世間話でよく「休日は何をしてるの?」と聞いてくれた。でも休日に何をするか、休日のための趣味を持っていなかった私は返答に困り、「聞いたらヤバい趣味でもあるのか」と先輩を困らせた。

 

でも、どう考えても、そういう「やらなくてはいけないこと」に追われている方が簡単だったし、ラクだった。自分で何をするか考えなくてもいいから。それに、ずっと私には明確なゴールがあった。

学園祭が終われば一旦今年の学園祭は終わり、次の学園祭が来る。バイトは学生時代を凌げば終わり。研究室は卒論を提出したら終わり。就活は内定をもらえたら終わり。国試の勉強は国家試験に受かれば終わり。

いつもゴールから逆算して、ペース配分を考えて、ラストスパートで一気に加速して、たまに落ち込みながら、なんとかやってきた。やりきれるゴールが見えていたから。

 

今は明確なゴールなんてない。わかっているのは人間いつか死ぬってことだけ。ペースを逆算するにも、仮のゴールを自分で決めなくちゃならない。タスクも山のようにないし、追いかけてくれない。

 

 

そんなことを言ってるだけで、1年が終わってしまいました。

最近は時間に余裕があるので、ちょっと本腰入れて考えてみようかな、と思いました。

違和感

違和感を大事にしたほうがいいよ、と言ってくれたのは就活をしていたときになぜか面談をしてくれた有名企業の、特に縁もないはずの親切な男性だった。スカイプ越しに話して、こういう企業はどうかなどと、本当に親切に色々教えてくれた。

 

ふとその言葉が頭をよぎったのだった。違和感を大事にしたほうがいいよ、と。

 

 

違和感(いわかん)とは、生理的、心理的にしっくりこない感覚。 周囲の雰囲気にそぐわず、食い違っている印象を受けること。 また、普段と様子が違うこと。 不自然なさま。

 

しっくりこないこと、かぁ。そんなに違和感ないこと、しっくりくることってあるかなぁ、と思ってみる。例えば人間関係では、しっくりこないことがある。あれ、そうなの?そういうこと言うの?私のことどうでもいいと思ってる?

 

仲良しのはずの子と約束しても、何かとドタキャンされる。友達だと思っていた男性に、恋愛の好意を伝えられる。 慕っていた元上司が見下すような発言をする。

行けない旨のLINEを受け取った前日の夕方、夜の街の信号の前で振り切った手、居酒屋の横並びの席で何も言わずに飲み込んだレモンサワー。

 

違和感がないことなんて、ないよ。それでもいいかって、受け流せるようなことばっかりじゃない。

 

 

 

 

きっと些細なことなんだと思う。でも、親切な彼が私に言った「違和感」という言葉が頭から離れなかった。あの瞬間、急に冷静になって違和感について考えていた。

部屋でお笑い番組を見て、私の隣で笑ったりウトウトしたりしていた人。まっすぐ顔が見られなかった。こっちを向かないで、どこかで思った。そうかもしれない、違うかもしれない。決定的な何かはない。

 

果汁35%のチューハイを飲んで、思い返す。違和感なかったこと、例えば今の会社への転職はそうだった。予想外のきっかけで決めたことだけど、迷いはなかった。しっくりこないと思ったことはなかった。

何より、「違和感を大事にしなさい」という彼のセリフが浮かんでくることはなかった。

 

 

違和感がないっていうのがそういうことなら、じゃあやっぱり違和感があるっていうのはこういうことかもしれない。顔も覚えていない誰かのセリフが強烈にこびりつく。

一人になった部屋で、何回考えてみても明確な答えは出せなくて、雨の音だけが聞こえた。

最近のおすすめ映画

最近たくさん映画を見たので感想を書きます。全部旅行の飛行機の中で見ました。

特におすすめなのはThe Hate U Giveという映画です。日本では上映されてなかったみたいですがアマゾンプライムで見れるので是非…!!

 

ボヘミアンラプソディ

話題になってたので観たいなと思ってた。最初の方は結構トントン拍子で有名になっていくのでそうなんだ〜と思ったけど、途中でやっぱりフレディが自分勝手になってソロ活動を始めたりお金使って遊びまくったり、そういう色々があってバンドを続けるのって難しいんだろうなと思った。

アーティストって、そういうことを仕事にするのって、単に仕事って割り切るの難しいだろうし、メンバーとの関係も友達じゃないし仕事仲間って感じでもないのだろうし、始めた頃の気持ちのまま関係を続けるのは至難だと思った。有名になって忙しくなればなるほど腹を割って話したり今後のことについて考える時間もなくなるだろうし、周りの期待も大きくなるだろうし、売上とか事務所とかの大人の事情もあって。

でもたくさんの人に支持されて、素晴らしいバンドであり音楽だなあと思った。世界で有名なバンドになることって努力にしろ苦労にしろ並大抵のことじゃないんだろうなあっていう凡庸な感想。

 

翔んで埼玉

埼玉に思い入れなかったけど面白かった。登場人物のキャラが濃かったからかなあ。でもこの映画をきっかけに埼玉に親近感湧いた。

埼玉のなんとかっていうところ出身の知人が、「翔んで埼玉にも俺の出身地は出てこなかった」って言ってたのがウケた。

 

ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生

これも面白かった。けど続きが気になりすぎて…。

ただ私はハリポタシリーズを最後まで読んでいないのと様々な設定を忘れ去っていて、さらにファンタビ1も観たんだけどその内容もなんとなくしか覚えてない(しかもカナダにいるときに観たので字幕がなく、言ってる内容とかもほぼわからなかった)ので、わからない内容がたくさんあった…。

全部覚えてたらもっと楽しめたんだろうなあ。

 

The Shape of Water

これも話題になってたので観たかったやつ。あとから考察ブログとかをたくさん観たんですが、それまで時代が冷戦時代であることと博士がロシアのスパイだったことに気づかなかった。

イライザの演技はとても良かった。半魚人とうまくコミュニケーションをとれたのも、彼女が言葉を話せないのが関係してるのかなあ。そしてストリックランドが無慈悲で嫌なやつすぎた。観るの怖い場面がところどころあったので、ちょっと早送りとかしてしまった。

後味が良い映画では決してなかったな…。でもかなり印象的だったので観終わってからかなりググって設定とかも知れたし他の人の感想とか考察をめっちゃ読んだ。

水って特定の形がなくて、器に合わせて形を変えられるから、タイトルはそういうところから愛にも特定の形はないってことなのかなと思った。

 

The Hate U Give

これは今回観た中で一番よかった。現在もある黒人差別がテーマで、しかもそれを目の当たりにしている高校生の女の子の等身大の話。

暴力表現とか、本当にこんな人がいるんだ…というような人(キング)もいて、怖いところもあった。問題の発端はスターの親友のカリルが白人の警察官によって射殺されたこと。丸腰の一般人、しかも何もしていない高校生の男の子に容赦なく銃を向ける白人警察。

スターは警官である叔父に「白人だったら何も言わずに撃ったか?」と尋ねたら彼は「まず手を上げろ、と言っただろう」と言う。

私は日本に生まれたし、黒人差別を見てもないし、想像しかできない。なんなら想像することもできない。

スターは笑顔がかわいい女の子で、白人のボーイフレンドのクリスに「あなたは人が殺されるところを見たことがある?」と聞く。彼女はその場面を何度も目にして、理不尽な社会を生きてきた。そして、カリルのための裁判やデモ活動を経て、無力である実感もする。気持ちや思いだけじゃどうにもならない感じが観ていてとても辛かった。

これも後味が良い映画ではないのだけれど、子どもを守り抜こうとする正しくて強くて優しいスターの父母や、兄弟、心からスターのことが好きなんだなって感じの彼氏クリス、そういう人たちは暖かかった。

普段差別について考えることが少なかったから、この映画はとても良いきっかけになったし観て良かった。

日本では映画館でやってなかったそうですが、是非観てください。おすすめです。 

ヘイト・ユー・ギブ (字幕版)
 

 

トランスフォーマー

トランスフォーマーの1作目観たんだけどめっちゃ面白かった…。今まで観なかったことを後悔しました。

アクションものの映画はそんなに好きじゃなかったし、特にトランスフォーマーは戦隊モノっぽい感じが強いので興味がなく…。食わず嫌いは本当に良くない。

元彼がトランスフォーマー好きで、2017年にやってたやつの予告編は観たんだけど、本編は観ず…。まだ続編は観てないから、これからちょっとずつ観ていく予定。

 

バンブルビー

トランスフォーマーのスピンオフでバンブルビーの話なんですけど、バンブルビー、可愛すぎやろ…!!!!愛おしかった…。かっこいいし。

チャーリーとちゃんと心を通わせているのも素敵。人間って人間のような形のものに親近感湧きやすいのかな。the Shape of Waterの半魚人とかもそうだし。動くものに弱いのかな?ロボットとかにしても、ルンバがカワイイって言う人もいるし。

バンブルビーも是非観てください。 

バンブルビー (字幕版)

バンブルビー (字幕版)

 

 

 

そんな感じです。

一気に観すぎてひとつひとつの印象が薄いというのも正直あるけど、めっちゃ良かったやつはかなり印象に残ってるのでまあいいかな。

映画観るくらいしかすることないレベルの環境に追い込まれないとこんなにたくさん観ないよね。

平成最後と令和最初

「新しい元号発表されたね」「今日も記念日だよね」「今日が平成最後のエイプリフールだよ」

平成31年4月1日の仕事終わり、会社のビルの近くにあるラーメン屋さんで同期と話した。「今ならまだ平成のうちに結婚するってのも間に合うかもよ」などと笑って言った。

 

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あれから約一カ月、ちょうど2日前に元号は平成から令和に変わった。わたしは自室にいて、なんなら微熱で寝込んでいた。

日付が変わったって、なにもかわらない。平成のときと同じ速さで時計の針は進む。わたしの中身も外見も、急に大人になったりはしなかった。

 

 

令和になってすぐ、ゴールデンウィークの半ばに実家に帰ってきた。正確には、大学時代の後半を過ごした祖父母の家だ。

手を洗おうと思って洗面所に行くと、平成29年のわたしが大量に貼った、薬剤師国家試験の対策用のメモがまだ壁に貼られていた。

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お風呂あがりに髪を乾かしながらとか、トイレとか、化粧水を塗りながらとか、ついでにスクワットをしながら眺めていた。たまには呟いたり。

ここで毎日を過ごしていたのももう2年も前で、東京からここまでの道のりだけでも変わったところはたくさんあって、知らない店も建物も色々あった。あの頃と同じではないことを思い知らされた。元号が変わったって何も変わらないはずだったのに。

 

 

明日は久々の友人と会う。行き先について決めていたら、「先に報告なんだけど、実は結婚することになりました!平成最後のプロポーズでした(笑)」と彼女からメッセージが届いた。

インスタグラムを見ていたら、仲良かった子が「令和1日目に入籍しました」と投稿していた。

26-27歳って結婚ラッシュだなと思っていたけれど、「平成最後の日」や「令和最初の日」の報告の数を見て、そしてついに親友と呼べる人の結婚報告を受け、元号が変わることが人生の大きな節目に相応しい大きな出来事だったんだなとようやく実感した。

 

昨日と今日、今日と明日、大きく変わらない。同じはずの日々を積み重ねて、あの頃とは大きく違う今がある。

元号が変わっても何も変わらなくて、でも大きく違う。そういう節目をハッピーな雰囲気で迎えられて良かったんだと思う。わたしが「平和のときもさぁ、」と言って「平成でしょ。令和とごっちゃになってるじゃん」と、いつもボケ役の同期に笑われた平成31年の4月1日を思い出した。平和な時代になりますように。

たくさんの瞬間を更新して

大好きな先輩と飲みに行ったら、彼は話の中で「人生で一番楽しかった時期っていつ?」と聞いた。

わたしはちょっとだけ今までの人生を振り返ってみたけど、悩む間も無く「今ですね」と答えた。

先輩は驚いたようで「今なの?それすごいなぁ」と言う。すごいんだろうか。いつだって今が一番だ。

 

先輩にとってはたぶん今が一番じゃないんだろう。前職のときかな、大学時代?もしくは高校生とか。

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人生をやり直して違う選択をしたいと思ったことはたくさんある。でも、ただ同じ人生を繰り返すだけなら、もうやらなくていい。この人生は一度でじゅうぶんだ。

中学も高校も大学も、もう二度とやりたくない。家族と一緒に住むのは、もう一度やってみたいかもしれない。

 

 

もちろん戻りたい一瞬一瞬はたくさんある。忘れたくない瞬間、ときを止めてしまいたかった。何度も何度も思い出して、色褪せてしまいそうな。

たとえば親友とくだらない話をしながら高校から駅まで歩いた帰り道、機嫌損ねて怒られることも多かった妹との旅行、初めての彼氏との初めてのドライブデート、学部の友達とドラマのモノマネして笑い転げた旅先のホテル、初めて案件を受注した日の高揚感、好きな人と手を繋いで歩いた深夜の交差点、朝起きたら繋ぎっぱなしだった通話から聞こえてきた彼の寝息。

 

そういう数々も、更新されていくんだろうな。だって今が一番楽しいし、戻りたいくらいの瞬間はきっとすごい速さで過ぎていく。

でもそういうたくさんでわたしはできてるからな、やっぱり今が一番だよ。

 

星になる

大学のクラスメイトが亡くなった。

朝まで職場の同期と飲んで、家に帰って暖房をガンガン効かせた部屋でうとうとしていると、友人から連絡が入った。「昨日の夜、○○くんが亡くなったそうです」スマホに映し出されたその文字は何度読み返しても信じられず、彼は今どこに住んでいたっけ、とただぼんやり考えた。

友人が送ってくれた地元のオンライン新聞のスクリーンショットには、26歳の薬剤師の男性がトラックにはねられて死亡したと書いてあった。26歳薬剤師、その言葉の重みでやっと現実なんだなと思った。

彼とは別段仲良かったわけではない。でも名簿が近くて、クラスも同じで、わたしのことをちかちゃんと呼ぶ数少ないクラスメイトだった。

 

身近な人が亡くなった記憶がない。父方の祖父母は、わたしが物心もつかないうちに亡くなっていた。わたしが大切な人の死を恐れるきっかけになったのは、高校生の頃大好きだったバンドのボーカルが亡くなったことだった。新聞の報道では薬のオーバードーズとアルコール摂取が原因の自殺と書かれていて、そんなわけないと強く思ったけど、真相なんてわかるはずもなかった。

 

ちょうどその頃、「流れ星が消えないうちに」という本を読んだ。加地君という男の子が亡くなって、その彼女と友人が、彼の存在を忘れないまま少しずつ前を向いていくような話だった。

 

誰かの死は、本当にすぐそこにあることだ。誰かの死を目の当たりにするたび、当たり前の日常が今日も明日も明後日もずっと続くわけがないことを思い知る。なのにいつまでも続くように錯覚している。

誰かに優しくするのも優しくされるのも、そんなの生きているからだ。わたしたちの考えるすべてのことは、生きている前提だ。

 

亡くなった彼と最後に会ったのは、彼らの卒業式の日のパーティーのときだ。わたしは卒業が遅かったので卒業はしなかったけど、パーティーには参加させてもらった。どんな会話をしたかなんて覚えてない。またね、と言って別れたかどうかも定かではない。

すごく仲良かったわけじゃないから、またねと言っても本当はもう会わないかもしれないとどこかで思っていたけど、その「会わない」がこういう形になるとは思っていなかった。だって会おうと思っても、もう絶対に会えないのだ。

 

今日と同じ明日がくることが当たり前じゃないって、本当にそうなんだ。やりたいことはやるべきで、伝えたいことは伝えるべきで、大切にすべき人を大切にしなきゃいけない。

 

 

流れ星が消えないうちに (新潮文庫)

流れ星が消えないうちに (新潮文庫)

 

 

シュガー・ラッシュ・オンラインを観てきました

エンディングで流れるイマジン・ドラゴンズのZero、とても好き。

 

まわりのIT業界の人や、ディズニー好きの妹にも「IT、ネット業界のひとは楽しめると思う」とずっと言われていて、それをやっと観に行ってきた。

シュガー・ラッシュの1のほうは観てなかったけど、話自体は問題なく楽しめた。ゲームセンターがインターネットに繋がってヴァネロペとラルフがオンラインに飛び込んだあたりで、「IT業界のひとは楽しめる」って言われた意味がわかった。

あと「ネット広告業界のひとは観たほうがいい」って言われてたのもすごくよくわかった。ネット広告業界で広告を出しながら自分でもわかっているけど、ネット広告ってうざい一面が多いんだよね。本当は「これ知れて良かった!」って広告でなるのが理想なんだけどな。

 

でも一番思ったのは、やっぱり他人を傷つけない・悲しませないって難しいんだなってことだった。

つい先日も書いたのだけど

www.chikanism.com

 相手が喜ぶことを考えるのって割と簡単だなと思っていて。この映画ではラルフが「ヴァネロペのために新しいコースを作ろう」って思ったり、「シュガー・ラッシュを救うためにインターネットでハンドルを探そう」って言ったり。

〇〇のために、って考えるのは楽しいというか、ある意味自分のためみたいなところもあるような気がする。相手の笑顔を見たいのは自分だし、喜んでくれたら嬉しいのも自分だ。

 

でもラルフは「ヴァネロペが自分のそばにずっといて欲しくて」、結局ヴァネロペが悲しむ選択をしてしまう。

これって自分の気持ちを優先しちゃって、これをしたら相手が悲しむかもってところまで想像できないからなのかなと。失ってから気づくとかよく言うけど、失うまで気づけないのも想像力が足りないからかなあ。

 

例えばやりたいことをやるために東京に出る、と言うと親が「そんなの絶対ダメ」と言うことがある。親は子どもを心配して、と思っているだろうけど、それで子どもの夢を摘むのは本当に相手のためんなんだろうか、ってなるのと似てる気がする。

 

このストーリーみたいに、少し想像力があれば、想像しようとさえしていれば、相手を悲しませずに済んだようなことってきっとたくさんある。思いやりとか優しさって想像力だなって思うし、やっぱり普段から相手のことを想像できるような人でいたい。

 

そんなことを考えつつ、ネット社会をよく現せていておもしろいな〜と思った。たまに映画観るのとても良いですね。