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女子大生ちかの徒然

女子大生の脳内お花畑系なブログfromバンクーバー。日々感じること考えることを大事にしたい感じ。

手を繋ぐなら右手で

どうでもいい話 お題

ムックというバンドのファズという曲に、「右手に君が足りない」という歌詞がある。その前後は「別れたばかりなのにもう会いたいなんて重症でしょう?」というものなのだけれど、わたしはこの「右手に君が足りない」という表現が最高に好きだ。

 

右手に君が足りない。

君が好きだ、愛しい、恋しい、I miss you。すべてがこの一言に詰め込まれていると思う。好きとか愛してるとか、嘘かほんとかわからないような、気取ったこそばゆい言葉よりももっと的確で、そしてストレートな気持ち。「右手で君の手を握っている」状態が当たり前だからこそ、足りないと表現できるのだろう。

愛してるか、なんてすぐには判断できないけど、「右手に君が足りない」のはわかる。わたしにもわかるの。

 

好きな人と手を繋ぐとき、わたしはたまに考える。相手に「右手に君が足りない」と思ってほしいから自分の左手を差し出すべきか、それともわたしが「右手に君が足りない」と思うために自分の右手を差し出すか。もちろん相手はこの曲を知らないだろうし、結論から言えば手を繋いでくれたら右でも左でもどちらでも構わない。それでも考えるのは、ひとりでいるときも思い出したいからなのかもしれない。

 

寒い夜、ポケットに手を入れていた、好きだった人の腕に腕を絡ませた。ビルの光が水面に写っていた。彼は何も言わずに、わたしの手をポケットに誘導した。彼のコートのポケットの中の、彼の左手とわたしの右手。そう、あれは右手だった。近くを歩いていたおばさんが「あなたたち寒そうね」と言ったので、わたしたちは笑った。

それからたぶん何回か、わたしは「右手に君が足りない」と思いながら夜道を歩いた。今ではもう、そう思う夜もないけれど。と言って強がる。

 

 

今週のお題「恋バナ」

 

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ファズには英語版があるのだが、日本語の歌詞で「無邪気に笑うカナリア」というところが、英語では "a canary with a guilty smile" となっている。無邪気=有罪の、という表現がまたおもしろくて素敵だなぁと思った。

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