Chikanism

現実と非現実のあいだ

一方的に伝えるのはコミュニケーションじゃない

誰かを好きになるって素晴らしいことだと思う。好きになった人が自分のことを好きになってくれるのって奇跡のようにも思う。それを続けるのもまた難しいし、すごいことだ。

 

だけど好きって伝えるのはある種のエゴなんだなと最近気づいた。誰かを好きになって、相手が自分を好きじゃなくて、そんな状態ってやっぱり辛くもあるし、なんでうまくいかないんだろうとかどうしたらいいんだろうとか色々考えてしまうものだ。思い悩むくらいなら振られてしまったほうがいいと思う気持ちもわからなくもない。

でも伝えてしまってラクになりたいっていう思いから告白に踏み切るなら、それってちょっと自己中心的だなと思う。だって好きなはずの相手の気持ちは一切考えてないから。自分がラクになりたい、それだけじゃん。

好きって言われて気になり始めて好きになる、こういう展開はよくあることだと思う。だからアプローチの一環としてはありなんだろうけど、好きだと伝えるのには(見込みが無いなら)傷つく覚悟も傷つける覚悟も必要なんだろう。

 

わたしは今までいわゆる告白されて断るっていう経験がなかったのでわからなかったのだけれど、断る側だって気を使う。傷つける、少なからず落ち込ませることがわかるから。でもせっかく伝えてくれたことに敬意を示すという意味でも真摯に向き合ってちゃんと自分の気持を伝えなくちゃ、と思ったので言った。「友達としか思えない。好きでいてくれる分にはやめろっていう資格はないんだけど、わたしの気持ちが変わることには絶対期待しないで」と。すっごくエネルギー使った。電話のはじめに「元気ないの?」と言われたけど、これから振る相手にノリノリで電話できる人がいるなら会ってみたい。

それでも期待させたくないのでLINEもあまり返さないでおこうと思っていたけれど、無視するのも気が引けて返事していた。そしたらLINEでも「友達でいいよ。好きだけどね」とか「大事なことだからもう一度言うけど、好きだよ」とか「好きだって。言わせないでよ」なんて送られてきて、驚いた。自分が言いたいだけじゃないか、と。

そんなことを言われて、わたしはどんな顔をして、どんな返信を送ればいいっていうんだ。その気持ちには応えられないって言ったのに。

彼は自分の気持ちを伝えるにあたって、わたしの気持ちなんて考えてくれていないのだ。わたしのことが好きだと言っているにも関わらず。

 

伝えるだけじゃ駄目なんだと思った。相手のことを考えずに思ったことを全部口にするのはある意味簡単だ。受け取る側の気持ちまでちゃんと考えて言葉を選ばないといけないし、それが思いやりってやつなんだろう。わかっているようでわかってなかったな、と今回気づいた。当たり前のことだけど。

例えば誰かに「会いたい」と言ったとして、相手もそう思ってなかったとしたらそれは面倒くさいだけ。残念だけど。それに比べて「飲みに行こうよ」って便利すぎるワードよね。飲めないくせにね。

 

まぁとりあえず、今後の教訓にしよう。愚痴みたいになっちゃった。色々考えたんだけど、もっとうまく表現できるようになりたいな。

家族に「あんたは本当に他人の気持ちを考えられてない」ってよく言われるのでもしかして脳に何かしら問題があるのではないかと思ってきたんだけど、やっぱりもっと他人の気持ちを慮れるようになりたいものです。思いやりは他人の気持ちを想像するっていうある種の想像力ですよね。心にとめておきたい。