Chikanism

現実と非現実のあいだ

10年経っても出会えていないハイヒールに思いを馳せる

上等っていうのはね、ハイヒールを履いても痛くならない足を持つことなのよ。それとね、足を痛めないハイヒールを買えるってことよ。

ー放課後の音符(山田詠美) 

これは大好きな山田詠美さんの「放課後の音符」という短編集に出てくるセリフのひとつ。この短編集の主人公は全部女子高生で、彼女らもしくは彼女の友人たちは本当の恋を知っている。

わたしがこれを読んだときは確かまだ中学3年生だった。恋愛のれの字も知らなかった。少女と女性を併せ持つ女子高生の危うい感じ、ちょっと大人びた恋愛。描かれた数々の恋愛たちは何も知らないわたしの憧れだった。高校生になっても大学生になっても何回か読み返した。

実際にはここに描かれるような恋愛はきっと小説の中だけだと思う。中高時代に山田詠美を読んで育ったわたしは、恋愛なんてしたことないくせに恋愛観だけはいっちょまえだった気がする。

 

詠美さんのエッセイにこんな一節がある。

「純粋な女の子」たちは、キスのことをチューと言い、セックスのことをエッチと言う。両方共、私の言葉に関する美意識の中では、許されない言いまわしなのだが、どうやら男性は、そちらの方が、許せるらしいのだ。そんな言い方は、下卑ている。

Amy Says(山田詠美

このエッセイを読んだからかそうでないかはもうわからないけれど、わたしはこの言いまわしを使うのが好きではない。おバカに見える気がするから。

 

冒頭の引用は確か主人公の友達のお姉さんが 、妹(主人公の友達)と主人公に服やハイヒールを貸して化粧を施してあげたときのセリフだったと思う。今手元に本がないので定かではないけれど。

放課後の音符を初めて読んだ日から10年近くの月日が流れたけれど、わたしは未だにハイヒールで痛くならない足も、足が痛くならないハイヒールも持っていない。

「風味絶佳」でヒロインが「嫌っていうのは、いいってことだよ。たった一人にだけ、嫌といいは同じ意味になるんだよ」って言う。同じく風味絶佳を読んだのも中学3年生の頃だったと思うが、わたしは未だに嫌といいが同じ意味になる相手に出会っていない。

 

思うにわたしは夢見がちなのだ。これは好んで小説をたくさん読んでいた弊害かもしれない(そしてこれを責任転嫁と呼ぶのだろう)。

何が言いたいかというと、若い女の子には是非「放課後の音符」を読んでいただきたい。そしてパフュームとシャンプーの香りの違いについて考えてみてほしい。シャンプーの香りのほうが高感度が高いという理由でシャンプーの香りを纏う女の子のあざとさについて是非ご一考いただきたいものである。かくいうわたしはクロエのオードトワレを使い始めるまではシャンプーの香りのコロンを愛用していた。リーズナブルだったのだ。(なんかシャンプーの香りとかパヒュームの香りの話があった気がするんだよね。確証ないけど。どうでもいいけどこういうときすぐにI'm not sureって言いたくなる)

 

 

わたしがアメリカに大きな憧れを抱くのは大好きな山田詠美さんと野中柊さんがアメリカに暮らしていたことがあるからだ。ちなみに一番好きなのは「ひざまずいて足をお舐め」 です。

 

放課後の音符(キイノート) (新潮文庫)

放課後の音符(キイノート) (新潮文庫)

 

 

Amy Says(エイミー・セッズ) (新潮文庫)

Amy Says(エイミー・セッズ) (新潮文庫)

 

 

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