Chikanism

現実と非現実のあいだ

憧れが理由になる人生だった

好きに理由はいらない。のと同じで、わたしのなかでは憧れに理由もいらない。

何かを好きだと言う場合、突き詰めていけば理由はあると思うけど、好きになる理由は嫌いになる理由でもあるので考えすぎないほうが良いと思う。

 

(余談ですが妹の友人は押しに負けて付き合った彼氏に「俺のどこを好きになってくれたの?」と言われて考えた結果、「どこも好きじゃない」ことを再認識し別れを切り出したそうです)

 

憧れているひとがいる。わたしの人生のほとんどの時間で、わたしは誰かしら憧れの人がいた。なんとなくかっこいいから、くらいの理由であることが多いんだけれど、わたしはいつも追いかけてしまう。

憧れの軸にもよるのだが、女性として憧れる人なら同じ香水を使ったりするし、その人の好きなバンドを聞いてみたりする。仕事とか人生の先輩として、なら業種とかも気づいたら近しいものを選ぼうとしてるし、見るメディアとかオススメの本とかもチェックする。

 

なんでこの選択をしたんですか、と聞かれたときに、「憧れてたひとがそうだったから」という回答する(したくなる)ことがある。なんていうかそういう人生だった。

 

ちなみに恋と憧れをはき違えていた時代がわたしにもありました。それでも、憧れさせてくれるひとがいることはありがたいなと思います。いつか追い越してやる、とも思いながら。