Chikanism

現実と非現実のあいだ

ギザ10によって取り戻した純粋な心

バイト中に、レジオープンをしていた18歳の男の子が唐突にわたしを呼んだ。わたしが作業をとめてそちらを振り向くと、彼は眩しいほどの笑顔で続けた。

 

「ギザ10ありました!!」

 

だからなんだ、ではない。わたしは24年生きているので、ギザ10を見た回数なんて数えきれないほどだ。そしてギザ10に大して希少価値がないことも知っている。

けれども問題はそこではない。

18歳だからなのか?彼が純粋な心を持っているからなのか?それとも単に世間知らずだからなのか??

 

18歳から24歳になるまでの6年間で、ギザ10を見る回数が劇的に変わるというのだろうか?

 

目眩がした。

「かわいいなぁ、もう」と言いそうになるのを堪える。

 

ギザ10を見つけた程度で喜ばなくなった荒んだ自分の心を呪うべきなのだろうか。見つけても喜べなくなるほどのギザ10経験積んだわたしは、今まさに人生に悩んでいる。何枚ギザ10を経験しても、答えは見つかりそうにない。感動も喜びもないのに、無駄にギザ10を経験している。

今後はギザ10を見つけたら「あ、ラッキー」と思えるようになりたいものだ。新鮮な気持ちを取り戻させてくれてありがとう少年よ。

 

 

 

どうでもいいですが神社のお賽銭のために5円玉貯金をしていますが、お参りの予定があるときに持っていくのを毎回忘れるので役に立ったことが一度もありません。心を入れ替えます。

いったい何を書いているのか訳わからなくなってきたので疲れてるんだと思います。もう寝ます。