Chikanism

現実と非現実のあいだ

泣きたい夜の色々

とある人と知り合って話した。別に個人的な出会いではなく、セミナー講師とかエージェントに近い人。

わたしの考え方とかを話して、それに色々言われたんだけど、納得できないというかムッとすることがあって、それ以上になんか言い方に棘があるというか、わざとなのかもしれないけれど端的に言うと不愉快な気分になった。そして結論を言うと、ボロ泣きした。もちろんその場で泣ける人間じゃないので、たぶん顔には出てただろうけど一応普通の顔と笑顔をして退室して、原チャを停めてた場所まで歩いてる最中に涙が溢れてきて止まらなくなった。

なんで泣いてるのか自分でもよくわからなかった。悲しいんだか悔しいんだか、でもこんなに感情を揺さぶられるということはむしろ図星だからなのか、そんなことを考えながら、でもとにかく泣けた。

もしかしたら肯定的な言葉を期待している自分がいたのかもしれない。ただ単に言い方というか言い回しというか伝え方の問題なのかもしれない。だけどとにかくわたしは嫌な気持ちになって、悲しかったし泣いたし、人間として合わないんだろうな。

 

こんなに泣いたのは、バンクーバーインターンの面接に落ちたとき以来だ。

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就活とかになると、色々言うひとがいて、したり顔でアドバイスしてくる人もいて、就活先の企業以外で就活に関連してわたしに関わるひとがどれくらいわたしのことを考えてくれてるかなんて、まぁ冷静に考えたら別に誰も真剣に考えてくれてるわけなくて。だって他人の人生だもん。

それでもいろんな話をしてくれて聞いてくれてアドバイスまでくれる人もいて、だけど最後に選ぶのもわたしだし、わたしの人生の責任をとるのもわたしだし。アドバイスした側からすれば「あーあ、だからあの時言ったのに」なんて思われるのかもしれないけど。誰の話を真に受けてどんな選択をするのかはわたし次第。

何が正解かわからなくなるなら、自分が正解だと信じた方に走るしかないじゃないですか。その道を正解にするのはわたしだもん。誰も責任とってくれないもん。

 

嫌な気持ちになることを言う相手に会いたくないってのは逃げなのかもしれないけど、色んな人に会って話したい気持ちは変わらないし、色んな価値観や考え方を知りたいし、刺激を受けたい。だからって泣くほど嫌な気持ちになる相手と話したいとも思わないし、それは「相手のためを思って言いにくいことも言う」ってのとはまたちょっと違うと思うし。

 

んーなんかよくわからないけど、いろいろ語れる相手がいたらいいのになとか、ただ一緒に御飯を食べてくれる相手がいたらいいのになとか、泣き言を聞いて「あしたもがんばろうね」って言ってくれる人がいたらいいのになとか、思った夜でした。おしまい。