Chikanism

現実と非現実のあいだ

それは走馬灯のような

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シェアハウスに引っ越して仕事を始めてからというもの、毎日7時間ないし8時間の睡眠を死守しているせいかよく夢をみる(夜中にもよく目が覚める)。

 

夢というのはすぐ忘れてしまうもので、なんとなくしか覚えてないことも多いけれど不思議となぜか何度も似たような情景に出くわすことがある。あとは強烈なインパクトがあったものは覚えていることもある。

たとえば庭に白いとうもろこしが生えていてそれを持って葬式に参列した夢とか、父親が自殺する夢とか(縁起でもない)、世界がパラレルワールドバンクーバーからスカイトレインに乗ると日本の京都の最寄り駅に帰れた夢とか。

あとなぜかわたしの夢で頻繁にあるのがコナンの世界にわたしが入り込んでいる夢。一緒に捜査したり人を探したりしたこともある(殺されたことはない)。

 

そして最近よくあるのが、小学生のときの同級生で卒業以来個人的に会ったこともない、まったく疎遠な人が夢に出てくることだ。同窓会で会っても一言交わすかどうかというような男の子が夢に出てくることがある。夢で会っても、「誰だっけあの人?」と思うような。

あるいは大学生のころのサークル(委員会)の先輩も含めたメンバー数人で集まって、あの頃のように鍋を囲んで談笑していたり。そしてその場にいない誰かについて言及するのだ。「そういえばあの人なにしてるんだっけ?」というような。

家族にもよく会う。ただ買い物に行ったり、出かけていたり。

 

日本にいる人には当然長らく会っていないし、連絡をとっているのもごく少数なのに、なぜか連絡もとっていない、印象深かったイメージもない人が次から次へと夢に現れる。そんな人もいたなあ、こんなこともあったなあ、と思い出す。

 

そしてふと、走馬灯のようだ、と思った。昨日は夜中に目が覚めて、久々にサークルのメンバーと対面したので、わたし死ぬのかなと一瞬頭をよぎったほどだ。なんでこんなに懐かしいひとたちが会いにくるんだろう。

単に海外生活で寂しくなっただけだろうか。帰りたいような、帰りたくないような複雑な気分だ。色々と帰りたい気持ちもあるのだけれど、現実的な話はまた今度。

 

不思議と会いたいひとには夢でも会えないものですね。「今夜夢で逢えたら嬉しすぎて泣いてしまうかも」と福山雅治が歌っていたけれど。と思いながら口に運ぶのはミルクティーではなくホットチョコレートである。