You are the apple to my pie
バンクーバーにいたときに見つけたアクセサリーにあったフレーズ。
あなたは必要不可欠だよ、ってことなんだろうけど、とってもかわいい言い回しだなって。
わたしもなんかいい感じの言い回しを考えてみようって思ったけど、「あなたはわたしのピザの上のチーズよ」くらいしか思いつかなかった。センス。
むかし、宇多田ヒカルのPrisoner of Loveの「ありふれた日常が急に輝き出した 心を奪われたあの日から」ってフレーズで、わたしも誰かにとっての「あなた」になりたいな♡とか思っていましたが、今年は(?)りんごを見つけたいです♡
脳内お花畑かな???
そんなことを言っているあいだに25歳になりました。まさか25歳になる日がくると思ってませんでした。誕生日の日は授業が5コマくらいあって、それどころじゃない感でしたが、昨日は家族でお祝いしてきました。家族みんな10月生まれなんです。
来年からも、10月には京都に帰ってきて、お祝いできたらいいな。
とりあえず25歳の目下の目標は薬剤師免許をとることなので、がんばります。
肩壊れそうになるほど重い教科書たち。↓
会いたかった、って言いたかった。
わたしは今後忙しくなって、たぶん友人と会う時間がとれなくなるから、できるだけ10月中に会っておこうと思って、何人かと約束してました。
一番仕事が忙しい子に合わせて、行ける日程を聞いて決めた。その子は「まだシフトがわからないから、わかったら連絡するね。たぶん遅番でも遅れて行けると思う」と言っていた。
その日程が来週半ばに迫って、わたしは「来週どうしよっか?」と連絡した。
集まる予定だったのは5人。うち2人から「場所はこの辺りがいい」「この店はどうだろう」と連絡がきた。既読は全員分ついていた。
そして翌朝、彼女から「ごめん、仕事だったから行けない」と連絡がきた。
バイトじゃあるまいし、おそらく来週のシフトはもう少し前にわかっていたはず。
連絡をくれなかったことに、悲しくもなったし、がっかりもした。会えることを楽しみにしてたから。
集まる予定のメンバーのもう1人の子は、来れない子の後輩で、わたしたちとはめちゃくちゃ仲が良いわけではなかった。でも予定を立てた段階では「行けます」と言っていた。でも今朝の連絡を受けて、「わたしも今回は遠慮しておきます。また会いたいです」ときた。
さらにがっかりした。
わたしが言いたいのは、予定をキャンセルすることの非常識さとか、もっと前もって連絡してほしいとかそういうことではない。
ここでわたしはどういう対応をするべきだったのかってこと。
結構腹が立ってしまって、冷たい対応をしたくなったけど、それも大人気ないと思って、「それは残念。また今度ね!」と送ったけど、楽しみにしていたのだし、「なんで早く連絡くれなかったの?」とか、「もっと事前に言ってくれたら予定を変更したのに」とか、言った方が良かったのかな。
腹が立ったり、悲しかったり、ムカついたり、怒りたかったり、そういうときも、わたしはいつも黙っている方が事が穏便に済むし、円滑に進むと思って黙ってきた。もっと言えば、我慢してきた。
だけど、そういうときはきちんと言えるのが、健全な関係なのかもしれない。
彼女の誕生日が近かったので、わたしは誕生日プレゼントを用意して、バースデーカードも買っていた。本当に、会いたかったのだ。
「仕事があって予定が合わない」ということをもっと早く伝えて欲しかったわけじゃなくて、会えなくて悲しい、がっかりしたのだ。
そういうこと、言えた方がいいのかな。ちゃんと素直に。
いつだって素直な気持ちを伝えられずにいる。何もかも思ったことを伝えるのは違うかもしれないけど、ちゃんと言ってたら、違う未来が待ってたのかなって、思うこともたくさんある。
あと半年
薬剤師の国家試験が半年後に迫ってきて、最近は勉強ばかりの日々。
薬学部は6年で192単位とればいいんですけど、今もう単位で言えば194くらいとってて、でも6年生配当の2単位が必須なのでそれを履修してます。
まぁそれが国家試験対策授業になっていて、3ヶ月で約90回あります。ありすぎだろ!!って思うよね。単位数で言えば2しかないのに。なので火曜〜金曜まで毎日大学で授業があり、土日月は図書館とかで勉強。家じゃ集中できない。
4回生くらいまでも毎日授業があって(週に3回くらい実験だったりした)、5回生〜6回生前期まで研究室と病院薬局実習があり、最後の6回生後期がこれだから、もうイヤってくらい大学に通いました。まじでもういいです。
「学生の方がいい」「学生に戻りたい」ってよく聞きますけど、わたしはもう学生なんて勘弁です。自分の1日にの殆どの時間を費やして何も生み出さないって、本当に苦痛。研究なら生み出してると言えば生み出してるのかもしれないけれど、勉強してるだけなんて無駄に拘束時間長いし、両親などの出資者がいないと成り立ちません。
本当にうんざり。
今までの人生で、戻りたい時間なんて一度もない。
中高も辛かった。大学の前半は楽しかったけど、勉強もしんどかったし学園祭の運営も鬼のように忙しくて、特に幹部やりながら実験レポートや課題をこなすのは本当に大変だった。二度とやりたくない。研究室も拘束時間長くて辛かった。留学もためにはなったし行ってよかったけど、辛いことも山のようにあったから、もうやりたくない。就活も本当に良い会社に出会えて良かったけど、絶対繰り返したくない。バイトばかりの日々も、頭使わないから楽しくなかった。
その瞬間瞬間は確実に楽しいことやシアワセなことがたくさんあったけれど、全体を見たらもう一度やりたいことなんてひとつもなくて。
すべてのことがあったから今があるとは思うけれど、今までずっと、期限があるから頑張ってこれた。
だから国試の勉強もおもしろくも楽しくもないけれど、参考書1冊やったときの達成感だけを追いかけて、あと半年って思って頑張ります。(これ9冊あるんだな〜)
12月の頭までに9冊終わらすように1週間ずつ割り振ってたけど、今日早めに物理が終わったので、明後日から化学やります。9冊やり終えた頃には多分1冊目を忘れてそうなチョロい脳みそしてますので、がんばります。
関係ないけどあと1週間くらいで25歳になることに怯えています。わたしが思い描いていた25歳は、こんなんじゃなかった…。
コーヒーとミルク、それに必要なスプーンについて
拡散という言葉が好きだ。バズるという意味の方じゃなくて、コーヒーに入れたミルクが、何もしなくても均一になるあの現象。
何もしなくても、というところがすごくて、エネルギーなしに起こる現象というのはおもしろい。水に滴下したインクは、勝手に拡がって均一になる。均一に。
何も力を加えなくてもそうなるんだから、世の中はきっと勝手に均等になるようにできてるんだ。
わたしの中の記憶も、いつか均等になる。今は濃いあなたの記憶も、いつしか薄く薄く拡がって、少し取り出したときには混ざっているのもわからないくらい薄くなっちゃうの。
もう増えないある事柄についての記憶に対して、溶媒はずっと増えていくでしょ。割合で言えば、無かったも同然くらいに薄くなっちゃうの。計算するときは、ないに等しいからゼロにして考える。
だけどまだ、拡散しきってない。新しい記憶だから、コーヒーに淹れたてのミルクみたいに、ゆっくり渦を巻いていて、わたしはそれを見つめている。
まだ、時間が必要だ。わたしはかき混ぜるためのスプーンも、甘くするための砂糖も持っていない。
自己開示とか人を頼るとかの話
誰かと親しくなる上で、自己開示をすることってとても大事だと思うんですね。
これは妹と散々話して何回も「そうだよね…」となった結論。
妹もなかなか本音は言ってきませんが、本音を話せないのはわたしも同じ。でも姉妹なので気を遣わずに思ったことは結構なんでも話しています。「お前のことは口が裂けても細いとは言えないけど、めっちゃデブってこともないと思う」とか、「取り返しがつかないほどのブスではないと思う」とか、「その服は太って見える」とか、そういうことも言う。姉という贔屓目で見たら妹はめちゃめちゃカワイイんですけどね。そんなだから、買い物に行っても「それはやめたほうがいい」「似合ってない」という感じ。
でも、それでも、本当に思ってることとか悩みって、なかなか言えないんですね。
自分が逆の立場なら、相談されたら頼られてるって思うし、弱音や泣き言や愚痴も度を過ぎなければ聞いてあげたいと思います。
いつもは恋愛の相談なんてしてこない友人が、彼と喧嘩した話をして涙ぐんだときはかわいいなと思ったし、具体的にできることはなくても、「話を聞くだけでも聞くからね」などど言ったものです。
だいたい他人の悩みは、客観的に見れるから、コメントもしやすい。たとえばダメ男に引っかかってる本人は、相手がダメ男でやめたほうがいいってことがわからなかったりする。こっちから見たらどう考えてもやめたほうがいいのに。
まぁ相手のことを思うとハッキリ言えないことも多いけれども。
わたしは他人に頼るのも苦手で、気持ちを表現するのもすごく苦手です。思ったことはちゃんと伝えたいって考えてはいるけれど、言語化するのがすごく難しくて。考えが頭の中でぐるぐるして、整理がつかなくなって、何から話そうか、と思っているうちに時間だけが過ぎてしまう。あとになって「こう言えばよかった」「なんでこれを言えなかったんだろう」なんて思うこともよくある。
でも例えば誰かに言われた一言に傷ついて悲しんだことをポロッと口にしたときに、「それはひどいね」というようにわたしの悲しい気持ちに同意や肯定をしてもらえると、わたしは「あぁわたしは傷ついてもいいんだ」「悲しいと思うのは間違ってないんだ」と思える。
なのに傷ついたことを悟られまいと平静を装ったり、わざとへらへらと振る舞うこともある。バイトの最後のシフトが被った男の子も、「ちかさんらしいクールな最後でしたね」と別の人に言っていたらしく、わたしはクールになりたいわけじゃないのになあと思ったものだ。
寂しいとか悲しいとか、嬉しいとか楽しいとか、感情も満足に表現できない。家族には「なにをしても喜んでるように見えない」と言われ、妹には「プラスの感情が本当に薄い」と言われる。
プラスの感情にしろマイナスの感情にしろ、悩みや考えにしろ、自己を開示することはすごく大事だし、言わないのにわかってほしいなんて言うのはおかしいというのはよくわかってる。
だから本当に感情表現が豊かな人に憧れるし、わたしだって嬉しそうに笑いたいし、悲しいときは人目を憚らずに泣いたり、嬉し泣きだってしてみたい。
ラボの同期で、失恋したときにいちいち同期グループに連絡してくる男の子がいて、よくみんなで慰めたものだけれど、そうやって辛いときに素直に他人に頼れることはある意味強いなぁと思う。人を励ますのは簡単なことじゃないし、「世の中に異性が何人いると思ってんの?35億」なんて言うわけにもいかないし、でも黙って話を聞いて一緒に美味しいものを食べて、しょーもない話をすることはできる。
友人が落ち込んでたらわたしは一緒にゴハンを食べてどうでもいい話をしたいなあと思うし、逆にすごく辛いことがあっても何も話してくれなかったらそれはそれで悲しいかもしれない。
だからわたしも、一人で頑張れないくらい辛いときは、素直に誰かに頼れるようになりたいな。って思った。
フォトジェニックな街、ペナン島
初めてマレーシアのペナン島というところに行ってきました!
わたしとしてはビーチリゾートというか、海が綺麗なところに行きたくて、第一希望はタイのピピ島だったのだけど、予算とか日程の都合上断念。
でも結論から言うとピピ島に行きたかった。やっぱり。国家試験終わったら3月に行きたい気もするけど、一緒に卒業する友達もいないし、なにより引っ越しとかもあるので、無理かなあ…。
で、ペナン島なんですけど、一言で言うなら今流行りのフォトジェニックというやつだ!
街並みがこんなんで、ほんとすごい。
マレーシアはマレー語だけど、インド人や中国人も多いので英語を話す人がとても多い。英語で会話できてヨカッタ。
街を歩いていて知らない人に話しかけられるというのはバンクーバーにいた頃からしばしばあったことですが、今回も案の定インド人に話しかけられた。
おじさんで、横を通り過ぎようとしたときに話しかけられた。「どこから来たの?」から始まり、「リトル・インディア(中華街のインド版のような場所)には行ったか?」「インディアンティーは飲んだか?」と聞かれ、そのまま友人が経営している布屋さんに連れて行かれて観光のアドバイスをもらった。
そして「インディアンティーを飲ませてあげる」と近くのインド料理屋(屋台のようなところ)へ連れて行かれ、インディアンティーとインディアンヌードルをご馳走になりました。
その後どこへ行くのかと尋ねられ、街を案内してもらいながらバス停まで送ってもらった。途中で山のようにあるホテルや学校などの説明をいちいち受け、なかなかバス停にたどり着かず募る不安。ヤバイところへ連れて行かれたらどうしようかとも思ったけれど、最後はバスターミナルへ連れて行ってくれ、運転手さんに目的地やお金を確認してくれた。ジョン、疑ってごめん。
日本でこんな風に話しかけたらヤバいやつになりそうだけど、海外はこういうことが起きてしまうのが面白いよね。今回は妹が一緒なので少し安心でした。わたしはバンクーバーでもおじさんに着いていったことがあって、良い人だったから良かったものの、気をつけるべきですよね。
ペナン島は今雨季で、ビーチリゾートって感じではなかった。でも食べ物がすこぶる安くて、何を食べても1000円もいかないんですよ。2人で夕食たべても3000円ちょいとか。素晴らしい街だ。しかも美味しい。
体調が思わしくなくて、あまり食べられなかったり気持ち悪くなったりしたのが残念すぎたけど、マレーシア料理やインド料理、中華料理など楽しめてよかったです。
2万円換金したんだけど、なかなか使い切れなかった!クレジットカードももちろん一回も使わず。
アジアは韓国以外初めてだったので、また色んな国に行ってみたいなあ。
あの日から、一年
去年の9月5日が、わたしがバンクーバーへ行った日でした。
もう一年も前だと思うと早いな〜。
いまさら振り返ることはそんなにないのですが(過去に何度か書いたし)、留学自体が就職に直接影響あったかというとなかったとだけ言っておく。まぁ別にそのために行ったわけではないのですが。
ただ好奇心が旺盛なヤツとか、行動力があるヤツとか、そういう自分を象徴する出来事のひとつにはなったかなぁ。
単純に、日常会話レベルの英語が話せるというのは自分で思うメリットですね。道端で外国人に話しかけられても困らないし、バイト先でも外国人対応をよく頼まれていたし。海外旅行も言葉が通じない不安はかなり軽くなったし。
綺麗な風景やランドマーク的なものより、何気ない日常のなかの一枚のほうが懐かしさが強い。
ウォーターフロント駅の前。よくここから電車に乗った。スカイトレインのカナダラインのほうの始発にはこの入口からは乗れなくて、ビクトリア(島)に行くときに電車に乗りそびれた上にWi-Fiもなくて途中で合流する予定だった人と連絡つかなくて半泣きになった思い出。
ウォーターフロント駅の向かい側のダララマ。百均みたいなところ。よくお世話になりました。
バンクーバーについた翌日、学校初日の帰り道でバスを乗り間違えて全然違うところに行ってしまった。Wi-FiなくてもGPSが使えたのでなんとか歩いて帰れて良かった。
初めて行った海岸。9月はまだ日差しもあって、日も長かったなあ。
グランビル・アイランドの不思議なやつ。
住んでたマンションの隣のスーパーの前で見かけたリス。自然が多いからか、よくこういう動物に遭遇しました。
インターンしてたオフィスの隣のデニーズ。初めて雪が降った日。
ダウンタウンの道。
これもダウンタウンの道。カラフルでお気に入りだった。
冷静に考えると辛いこといっぱいあったな〜と思う。話せなくてインストラクターにも色々言われたし、インタビューも何回か落ちたし、アドバイザーにも色々言われたし、インターン先でも失敗したこととかあったし、好きになった人にはワンチャン狙われたし。
日本で暮らしてて、大人になってから泣くことってそんなになかったけど、この一年は留学やら就活やらでつい涙が出てしまうことが多かった気がする。
とりあえずやり遂げられた感があるのでヨカッタ◎
過去に書いた留学振り返り的な記事たち↓